スタンダードな青春

高校生の毎日というのはほっといてもいろいろあるもので,そうであることをスタンダードな青春とひとくくりにして呼ぶことはできると思うけれど,そのとき当事者としては毎日の雑多なあれやこれやにいちいち追われているわけで,それらをひとつにまとめられてはたまったものではないです.そうであったとしても,僕がスタンダードな青春という言葉を使うときの事情というのは,彼ら彼女らと同じようにものを見ようというのは年寄りの冷や水であるので,ちょっと距離をおいて関係することしかできない,そこで年をとると悪いところばかり子供に戻りまして好かれたい人にイジワルするというあれでしょうか,かまって欲しくて,それはスタンダードな青春だ,なんて言い方をしてしまうのね.おとなしく黙ってりゃいいのに.

宇宙人,未来人,超能力者や世界の改変,あるいは思惟生命でもいいんですが,そういう超常的な要素を抜きにしてどうやっておはなしを納得してゆくことができるのか,というのが sense off 以来の僕の楽しみとなっています.例えば宇宙人だということもある人の魅力のひとつなんでしょうけれど,そういうぎらぎらしたところの探求はハルヒのような若い人に任せて,だけど,じつは宇宙人でないと考えたとき,宇宙人を信じてない人として見たときにも,その普通の中学生や高校生としての活動を,自分自身のそれから時を経て歳が離れてから見るときにようやく愛しさを感じるものとして,興味深く掘り起こしてゆくことが出来るものと思われるのです.

アニメは見てないんですが,たまたまさっき谷川流へのインタビューを読んだので,某所へのご参考までに一部引用.

ーーー「サムデイ イン ザ レイン」をご覧になっての感想は?
谷川 この話では,小説の完全1人称視点を崩し,部分的に3人称視点にして脚本を書きましたが,実際に見ると「なんてスタンダードな青春をしているんだろう」と思いました.
(メガミマガジン 2006/8)

谷川流がどういうつもりでスタンダードな青春という言葉を使ったのかは判らないし,元のアニメも知らないのだけど,たまには3人称の冷や水な気分になったのかもしれないです.

疏水太郎