始まらない物語

たとえば鍵姫物語において,終わらないアリスについて話すとき,終わる終わらないが取り沙汰されるってことはお話はすでに始まっているので,そりゃ結構でして.ここでお話が始まらないというのは退屈な日常とかいうフレーズに繋ぎたいわけではなく,お話が始まりそうな神聖で高揚するような感じ,菩薩が顕現しちゃうようなその勢いはいつも人間の不意打ちによって躓いてしまうという生煮えのことを言いたいのであって,石川淳の「普賢」っていうのはそういう始まらないお話についてのお話でした.事情は長くて回りくどいのだけれども文章はかえって美しいです.人物像よりもその文章こそがそのまま,ときにフィクションの人々すら遠ざけたいと思う,物憂い昨今の僕の数少ない慰め.

疏水太郎