それは恋

もはや何と名付けることも出来るのですが,人におけるなんらかの固有さを恋と名付けておくことは,それが友情であるとか敵愾心であるとか師弟関係であるとか他にも言いようがありそうであったとしても,青少年へ向けたお話としては喜ばれやすいものになりそうで.「俺ほど奴を憎んでいる男はいない」「(それはきっと恋ね!)」例えば腐女子的転倒というのは青少年の心に寄り添うような気持ちではないかしら.

普通に考えると,付き合いが長くなればなるほどあまり一般に知られていない相手の側面を知る機会が増えるわけで,そうすると理屈の上では幼なじみこそが相手のことをツンデレとして見つめる者の典型となります.

「私だけが知っている」,それを恋と呼ばなくてはならない青少年の事情においてのみツンデレという言葉が採られるのであって,幼なじみという言葉が恋を伴わない事情下でも利用可能である一方,ツンデレという言葉はどうもそうはゆかない,人の恋愛事情を指す以外の何物でもない言葉であって,なんか生々しいコイバナ用語ですよね.

このあたりの一連の話を読んで.

疏水太郎