魔法遊技

年寄りの昔語りであるのでご注意を.

たとえば貴方が男の子で,幼いころ側にいてくれた佳人は夢の彼方へと消えて,いまではある女の子が側にいて,だけどその二人が重なるように思えたとして.または貴方が女の子で,幼いころ側にいてくれた猫は夢の彼方へと消えて,いまではある男の子が側にいて,だけどその二人が重なるように思えたとして.そんなとりとめのない空想から始めて,そこに空想に憧れる人たちを集めて,心と呼べるような何かを創作したいと,たぶん思っていた.恋い慕う心であるとか,姉弟の気持ちであるとか,そういったものをお話としてようやく確認するためのセッション作りに熱中していた.たとえば貴方は夢を見る.溺れる誰かを助けている.その相手は夢の佳人か隣の女の子か,あるいはそのどちらでもなかったか,そしてそれはどういう気持ちの流れに基づくものであったか.インタビューのような会話と選択とその理由づけの繰り返しが心と呼べそうな何かを叙述させて,その軌跡はただそれだけで魅力的な物語であると思えた.(なお,夢を用いたのは精神分析の影響ではなく,直接には門倉直人流の名残であった.)

客観的に判断できない選択について数多く尋ねることが重要と思えた.今にして思えば1995年から1997年まではプレイヤーへの形式ばらないインタビューが中心であったのに,ONEが発売された1998年以降ノベルゲームへ深くのめり込むにつれて,選択肢を用いたインタビューが人の心を形成させるツールとして有効であると僕は信じるようになったらしかった.

サークルの運営は,駆け引きの巧妙をボードゲームで鍛えるとか,振る舞いによるキャラ立ての仕方を学ぶといった社会的な技術の必要によって支えられていたが,社会以前の僕には居心地が悪かったので,僕は僕でそんな居心地の悪そうな人であるとか社会以前に戻りたい気分の人が集まるようにして,個々人の思い出や思い込みをそれぞれ語ってゆくだけのようなセッションをすき間産業的にやらせてもらっていたのであった.しかし,当時30人前後メンバのいるサークルであったため,運営上,メンバの振り分けはまず5卓か6卓あるセッションのマスターがそれぞれ内容をプレゼンし,それを聞いたプレイヤーが希望を出す形をとった.そして,あとは交渉やらじゃんけんやらで面子が決定された.そこで気が合わない人(自分語りしない人,子どもっぽい話をすると笑ってしまう人)がやってくるとうまくゆかないので,僕はあらかじめ予防線を張って,ビラを配ったり,みなで散歩することに時間をとったり,詩のようなものを創らせたり,水や死に関する思い出を語らせたり,そんな風にセッションが私的なもの,秘儀的ものとして感じられるよう工夫した.そうするうちに,なんやかや言いつつ僕もそのサークルの風土に生きる人間であったから,魔法の術式,つまりローカルな雰囲気の形成手法を技術としてサークル内に流通させるべきであるとか思い始めて,自己嫌悪に陥ったりもした.

当時のセッション紹介・配布資料はこちらに掲載している.今では首をかしげる箇所が多いが,「ローカルなコミュニケーションの優位」と「いつもの感じ」という言葉は採りたいと思う.ついては,こちらの文章(http://astazapote.com/archives/200011.html)が明快かつ名文であると思うので僕が言わなくちゃならないことは上のような自分語り以外にないのだけれど,ともかく僕みたいな電波っぽい人がわざわざWebArchiveから掘り出してしまってごめんなさい.

疏水太郎