内田百閒「冥途」

子どもの頃の話,であるような.語り手は「私」であるから年のほどは自明でないことがあってね.周りの大きい人はものを判っているようなのに自分は勝手が判らない.土手密度が高く,おおざっぱには7/18(土手話数/全話数)と算出されて,見ていると土と手とを並べた字面がいいように思われてくる.雨上がりの砂場で土まみれになってた頃のことが思い出される.

子どもの頃の,というのは嘘で,僕が今でも子どもだなぁと思う話であったりする.

こちらも天沢退二郎が選んだ10冊の1つ.川や堤防の風景といえば,最近では「侵略する少女と嘘の庭」か.

疏水太郎