D.C.S.S. #19-#26

魔女っ子のホームステイ,であったのだなぁ.アイシアは朝倉さん家の子どもになっちゃえば良かったのにね.

二年前の当事者なのでやりにくいだろう事情はあれ,さくらが随分と間違える.さくらは魔法が危険であることを説明するにあたって,二年前の事件においてどういう気持ちの流れに沿って何が起こっていたかを話さなくて,魔法の力に頼りすぎると全てが魔法のおかげだと錯覚をおこす,人々は努力することを忘れ……(#21)とか喋り出すのだけどそれどう聞いても二年前の事件と関係なくて,うわべで考えたことだから真に迫ってこない.一方,白河ことりは二年前の心境を具体的に語ってくれる(#20).そして,本当を語らない人の言葉は信ずるに値しないのである.アイシアのホームステイではじめに出会ったお姉さんがことりで良かったと思える.あと,さくらさんはあいかわらず口下手であった.

芳乃さくらが自分の言語を内面として見せるのに白河ことり程には達者でなかったので,彼女の恋のおはなしはアイシアにはうまく伝わらなかった,としておきたい.当時のことは誰にも話すつもりはない,なんて考えてしまっているさくらさんは想定したくない.というのは,魔法の話が辿りつく場所への期待に対する結果の1つであるかなぁ.

初音島の桜の魔法というのはおよそ事後的な説明原理であって,人が自ら実施するものではなかったのだけど,そこのところへ魔法を自分で操ることのできる魔女っ子がやってきたものだから,魔法とは何であるのかが一旦わやくちゃになってしまう.アイシアにとってはお婆ちゃんが道具的に用いていた人を幸せにする魔法こそが魔法であって,それはそう定義されるものであるがために初音島の魔法とは根元が異なる.もしもアイシアのホームステイという気持ちで読むならば,初音島の魔法は人を幸せにする魔法ではなく,そういう種類の魔法も世の中には存在しているということを,アイシアは覚えて帰っただろう.シリーズを通した感想として,二年前の事件のため重苦しく感じられた初音島の魔法とは対照的なアイシア小魔法の数々を見ることができたのは素朴に楽しかった.

疏水太郎