泉鏡花「沼夫人」

去年の十二月のこと,目が覚めて部屋に立ったらふと足元が生温い,一面,びちゃびちゃとするのは何事かすぐには理解できなかったのです.台所付近の天井から滝のように水が流れ落ちるのを見てもまだ判然とせず,悪い夢かとも思いましたが,思い当たって大家さんを呼んだのはつまり,上に住んでる大学生の男の子が部屋をプールにしたということで,蛇口を捻ったのに水は出なくてうっかりそのまま外出し,日が昇るにつれ凍った水道が解けて仮初めの春に大水が出た,ざあざあと天井から水が出てくる様はまさしく鏡花のやりそうなことで.

ともあれ,美しいお姉さんの手を引いたり引かれたりしながら,闇に閉ざされた水びたしの世界を渡ってゆくおはなしでした.この水びたしというのは辺り一面の田んぼが大水のため半ば沈んでしまったものでね,水を被ったあぜ道の,月はなく,行く手足元のあるかないかをふたり裸足で彷徨うのでした.その様子は ICO in Waterland とも思われます.

幻想文学第33号(特集:日本幻想文学必携)によると天沢退二郎のオールタイムベストテンの1つに数え挙げられているがため読んだものでした.曰く「鏡花からはこれ。偏愛の一篇。水の出方がいちばんすごい。」すごいと聞いて「夜叉ヶ池」の洪水のそれを想像していたのですが,ここではむしろ這い寄るようなそれでありました.あぜ道が織りなす迷路については「光車よ、まわれ!」の”ルミの冒険(二)”に出てくるコンクリートのあぜみちと水の迷路が思い出されるところでもあります.

美しいひとと水の世界に出会う夢は,うつつのお姉さんを湯上がりのまま水びたしの田んぼへ連れ出す倒錯と交じり合って,鏡花先生の変態ここに極まれりです(いや,いつも極まってますが.)いまだ水たまりがあればじゃぶじゃぶと入っていってしまう僕の幼いあんよたちは,僕の部屋が水に浸かった時でさえやはりその足触りを喜んでいて,大家さんに文句をたれる僕の口との分裂がいつか先生のような子供じみた恋の一夜を呼び込んでくれないかしらと思うです.

疏水太郎