こうの史代「さんさん録」

一段落ついたところですが,もしも順番が逆だったら,つまり父でなく母が先であったなら一体父はどうなっていただろう,と母が心配していました.いつの誰のために何を心配しているのか理屈は交差しているのですが,そういう気持ちはそういうものとしてどこかへ届けられるのであって.

乃菜は乃菜でなにかをしているらしいというのが良いです.僕らの目からはまあ何かこちゃこちゃしてるようにしか見えなくて,想像は可能なんだけどそうすることにあまり意味はないというか.たとえば乃菜がカーテンにぺたぺた触ってる様子とか,僕ら(男の子は)もうカーテンの高さにまで届くほどになってしまったのだけど,むかしそれはもっと広くて高いものに見えた,とかいま振りかえるとそう作るけれど,ちっちゃい頃はたぶんべつにそんな考えもなくカーテンはただぱたぱたするものでした.干してる布団に顔を埋めたりしているあたりも好みです.ちっちゃい頃よくやったよねぇ.ベランダの手すりの高さとはなぜこんなにも子供が全身を預けるにふさわしい高さなのでありましょうか.

疏水太郎