ウソニワメモ(2)

わたしがやらないと子供たちが死んでしまうと思ってた,みたいなことをいつか母が言っていて,それは仕事もそうですが主に三度の食事を与えることでして,すぐにお腹が減って泣くか弱いものたちを毎日見ていれば,およそそういう考えに至りそうではあります.この人に食べ物を与えるという感覚は僕には持てないもので,やっぱお母さんにならなきゃ判んないことかなと思うのです.

滝瀬唯が何かにつけ人にパンを持たせるのは,なんだかお母さんみたいです.女の子は常にキャンディとか持ち歩いてるもんですが,それとは違うよね.母は僕がひとりで食べられるようになってもむかしの習慣が抜けないのかいろいろ食べ物を持たせます.東京の大家のおばちゃんも京都の大家のおばちゃんも,玄関先で話してるといつも奥へなにやら取りに行って,食べ物の入った紙袋を持たせてくれるのです.滝瀬さんを見てるとどうもそういうことが思い出されます.ああ,わざわざ家まで取りに入るし!(p.154)ここで滝瀬さんが中山りあに持たせたのは牧生の好きなパンと裕貴の好きなパンであって,食べ物を与える,つまり自分が生かすとか死なすとかいうセンスにおいて,滝瀬さんの目には中山さんが男の子みたいに見えてるのかしら.面白いです.このときの中山さんは髪が男の子みたいだしね.

牧生くんが中山りあにご飯をあげたことももちろん見逃せないです.ヨモツヘグイとか同じ釜の飯とかいうのは食べたほうだけでなく与えたほうも縛られるものじゃないかな.

疏水太郎