泉鏡花「化鳥」

たいくつな雨の日に男の子が窓からお外を眺めていて,目に見えたものについていちいちお母さんに報告するのです.それをお母さんは何やら家のことをしながら聞くともなしに聞いています.男の子がずっと喋ったり思い出したりしていて,お母さんが聞いてるという図が良くって,お母さんもいろいろやかましかったり恐ろしいことを言うようなのですが,それはそういうことがあったと男の子のほうが振り返るのであって,お母さんは現在のものとしては饒舌ではなくて.お母さんの言葉というのはなるほど現在聞くというものではなくいつも思い出されるものなのでした.

雨が降っていて,つまり止んだときがこのおしゃべりの終わる時で,結局のところむかし出会った美しい翼の生えた姉さんは母様だったのだろうか,曖昧のままに,雨の上がる頃には言葉だけでなく目の前の母様の姿さえも現在形ではなく思い出される過去のものとして,「まぁ,可い.母様がいらっしゃるから,母様がいらっしゃったから.」とぼやけてゆくように思えるのでした.

お母さんがよく昔語りしたという雨の日.男の子にしてみても目の前にいるはずのお母さんの,なぜだか過去のことほど気になってしまうその言葉や姿などが詰まった雨の日というものの,記憶を呼び起こしてゆく様が好みです.

疏水太郎