Once Upon A Time

TRPGで性愛について扱った経験はないです.むかしむかし,自分がそうであったためか恋や愛以前の人たちの話にしか興味は持てなかったわけで.とりわけ夢で会っただけの女の子であるとか,一緒に行動していたというだけの女の子に対して運命を感じることが有り得るのかということについて,いつも尋ねていたように思います.僕のセッションが,プレイヤーが僕の提示したその情景に対してどう感じたかを尋ねるインタビューの形式を持って進められたのは,僕自身が曖昧模糊として捉えていた事柄についてきっと他人にも聞いてみたかったのでしょう.

PTRPGについては水姫のことだからどこまでも踏み込んでゆくこと覚悟完了であると思います.音読するのとしないのとでは届く場所が違うよね.ここではやはりマスターがプレイヤーにその内面をインタビューするべきかと思われますが,男どもがプレイする限りにおいて行き着く先は「語り手の事情」のハノーヴァー卿の境地かも知れません.

あるいは,僕ら自身が「語り手」さんたちになってセッションをしましょう.わーい,僕,チッタ!

語り手の事情ゲームということで “Once Upon A Time”(ATLAS GAMES)を実家から持ってきましたが,この際,パッケージ裏のメッセージは少し簡単に過ぎるようです.曰く「This is a game for all ages – all you need are basic reading skills, a healthy imagination, and friends or family to enjoy playing with.」 一方で,語り手の屋敷の主人によると「語り手は視力を使って様々な状況に視点を定めて物語を紡ぐ.無数の世界の,無数の人間に視点を定めねばならないこともある.境界,例えば男と女のような,国家と国家の間のような,過去と未来のような,無数に存在する境界を行ったり来たりするには膨大なエネルギーが必要で,その性質も多種多様なのだ.」ということでね,例えば本書で語られたような妄想を扱うためのエネルギーをもたらすには,ざっくばらんな同類たちと屋敷のような閉じた場所が必要で,その閉じた人の輪を維持する仕掛けとして,僕らの場合は静かで狭い場所や夜という時間が必要になります.そして,TRPGの中で僕らは時にそれを満たしてきました.

木の股を見ても性的な想像をもよおすような healthy imagination を持った年頃の少年にとって,時と場所さえ揃えば Once Upon A Time のカードに示されるアイテムや事象は全て性的なものとして読み取って遊ぶことが出来るでしょう.僕にとってのPTRPGというのは,青臭かったりオヤジであったりするその年頃ごと(every age)の事情を語る装置のあり方を示唆するものでした.

疏水太郎