桜のきわは曖昧の (4)

従妹弟たちと正月にだけ顔を合わしていた頃,毎年まあびっくりするほど大きくなるもので,僕の部屋のジャングルを公園のジムと間違えたか,上着を幾重にもさげたハンガーの枝葉,ベッドの下にうろがあるのを見つけてはそこへ入りこんでかくれんぼしてたちっちゃい子たちが,えろうかさばるようになってね.このところよく会うので中学生の姿にも慣れましたが,いつのまにか弟と別の部屋になった姉君が扉を開けていてね,知らずに覗いたら,わー駄目ー,と閉じられてしまいました.ええ,部屋は散らかっていました.散らかってるのが恥ずかしいと思うくらいにおっきくなったのだなと,外見だけでなく中身もちょっとは変わってくるものだと改めて感心しました.

おおきくなると言えばこのみのことで,アニメの第12話では身体測定が終わって出てきたこのみの笑顔を見れば,きっと身長と体重が増えたから嬉しいのだろうなと想像がつきました(想像出来なかった人は14へ,もとい第2話をきちんと見直しましょう).だけどここでは意外にも体重について触れられるのを恥ずかしがっていて,短い新学期の間に一体何が起こったのかしらと思わせられます.その変わりようを見たとき,僕の感覚ではいろいろあったことだしもう次の年の春が来たのかと思っていたのですが,彼らの時間は濃密で,どうやらまだ桜は散りかけの,この年の四月か五月のようなので,まったく男子でなくとも刮目して見なくてはなりません.

このみの住む町のように,僕の実家近くの堤防にも桜並木があって,佐保川と呼ばれる遙か佐保山の方から流れる春の川の,その名にし負う咲きっぷりであります.昨日実家で一枚の写真を見つけて,それは去年の春の桜の写真で.リンク先はなぜだかフランス革命暦なので判りにくいですが,これは4月の話,そこでは満開の桜を背景にしておじいちゃんたち,叔母と従妹弟の家族,そしてうちの家族,僕はいない.僕は東京へ行ってしまって,その間,この写真に映っているだけの人たちが暮らしていた時間があったということが,そこに幸せな笑顔が在ったのだということが判って,良かったと思いました.従妹弟たちは祖父母と一緒に過ごした時間が長かったためお爺ちゃんお婆ちゃん子で,大人を飛び越えてなんやかや年寄りらしいところを見せます.従妹の好きな俳優は藤田まことだそうで,また祖母の世話心がうつったか世話好きのようで,彼女宛の年賀状には同級生なのにお礼ばかりが書いてあります.損か得かは知らないけれど,それが性分ならばそれで結構.

さても,このみの元にも春が訪れてしまって.天地がひっくり返るとはこんな様子を指すのだろう,桜花も地中に冬眠するのか,冬の桜は根の側に花が咲いていてね,枯れ木に花を咲かせましょう,誰かがドンと足踏みすると,並木はあれよとひっくり返り,枝が根となり根が枝となり,地中に埋まっていた花が出てくる,まるで書き割り,回転仕掛け.彼女の様子を見ていると僕のほうからは何やもうえろう大変そうやなとしか言いようがないのだけど,タマ姉という人が傍にいて良かったわねぇ.形を真似たか性分か,知らないけれど世話心,身に付いたからには恋敵であったとしてこのみにはあんじょうしてくれるんじゃないかと思います.
子供といえど大人だったり,年寄り臭かったり,世話好きだったり,役割分担は一定でなくて,たまたま彼ら彼女らの間において,世話する側と世話される側に分かれるというのは,損か得かは知らないけれど,きっとそいつが性分で.

疏水太郎