桜のきわは曖昧の (3)

Think Spring

最近叔母やその子供たち,つまり従姉弟と一緒にいる機会が多いのですが,ことある毎,かつて高校生だった叔母に対して僕らが平気で○○おばちゃんと呼んでいたのが思い出されて申し訳ないです.花の女子高生をつかまえておばちゃんはなかろう.従姉弟たちには僕らのことをお兄ちゃんお姉ちゃんと呼んでもらっているのでなおさらです.だけど,そうだとしても,僕にとってあの頃のおばちゃんを高校生らしい姿として思い出すことは難しくて,今のおばちゃんがそのまま歳だけ違うような,そもそも今でも若々しい人だからかも知れないのだけど,おばちゃんはずっとおばちゃんのままでね.

ただ,もしかすると,高校生だって小さい子を前にするとおばちゃんっぽく振る舞ってしまうということもあるのではないでしょうか.あるいは甘えてくる子供たちがいて,それに応えられるとき,その振る舞いをこそおばちゃんっぽいと呼ぶのかも知れないですが.

麻生華澄が中学生にして妙におばちゃんっぽく感じられるのもそういうことかなと思います.あと陽ノ下光の表情がとても大振りで,わはーっと子供ですね.僕らにたくさんおもちゃを買ってくれた叔父の言によると,その頃の僕らはなんでも買ってあげたくなるような素敵な笑顔を見せたということで,自分では決して思い出すことのできないそれはおそらくこんな光みたいな顔だったのでしょうか.そしてこの顔を前にすれば誰だっておばちゃんおっちゃんになってしまうに違いないのです.

感動の小学生編が終わったところでDisk2を入れてねと出たのですが,そんなディスクはありませんでした.Disk1のパッケージだけ売ってたのを買っちゃったらしくて,さっき調べたらこれ5枚組のゲームでした.いや,小学生編だけで充分に満たされましたが,Disk2と表示されたときには幽霊でも見たかのような気分でね.そのうち続き(というかちゃんとしたパッケージのもの)を買いに行きたいと思います.

お正月にはおばちゃんの家でおよばれして,そのとき久々に欽ちゃんの仮装大賞(今は欽ちゃん&香取慎吾の新!仮装大賞)を見ました.大賞の忠臣蔵はグッドアイデアでしたが,僕と姉との間で伝説になっているのは第29回(1990年)大賞の「花咲かじいさん」です.概略を書くと,桜の木の書き割りの中にたくさんのつぼみが閉じている,それは一つ一つが小学生の握った手で一学級分.そこへ花咲じいさんやってきて,枯れ木に花を咲かせましょう,というのだけどそれでは開かない.だけど買い物かご提げたお母さんがやってきて,今日のおかずはハンバーグ,というと,わーいという声とともに手のひらが全部ほどけて満開の桜.聴衆には演者が小学生だと判ってるものだから,その手のひらの桜花たちはまるで満面の笑顔とも受け取ることが出来たのでした.たわいもない言霊に開く花弁は,ぽやぽやとした春の陽気に咲く花の性格をひとつ表しているようでもあります.

疏水太郎

(想春, Zaurus SL-C3000 + CloverPaint 1.1, 12hours, WQVGA(240x400pixel))