桜のきわは曖昧の (2)

ようやく衣類の整理に手をつけたらより分けてたたむだけで2時間が過ぎて,そうして出来た山を並べてみると夏物と冬物とが全く交ざって引き出されていたことが判りました.春と秋とに至ってはそもそもあまり区別をしてない,桜と紅葉を分けないようなぐちゃぐちゃで,季節の感じはなんやらほいの生活.山の上からその日の服を取って,着て,洗って,しかしまたそこへ積むというシジフォスをさぼったままの一年で,洗濯はぽいぽいと投げ込んでざっと洗剤をかけて閉じてボタンを押すという男の洗濯でいい,とはいえネットに入れるくらいはする,靴下も裏返す(表向けのほうが合理的だと思っていたけれどこのほど裏返し派に転向),ブザーが鳴れば干す,乾いたら,いや生乾きでも部屋に放り込む,と大ざっぱで済むものの,たたんで収納する段がいちばん大変でほったらかしにします.部屋の隅では洗濯ものの山と洗濯されたものたちの山とが覇権を争い,毎日着てゆくズボンやコートも加われば天下三分,太平の世はいつの日かという具合でした.世のお母さん方は夜な夜な,あるいは主婦ならば夕方,ちくたくちくたくとたたんでおられることで,簡単なものは子供も手伝いする.けれども,大人になった僕の時計は壊れてて,ちくたくばんばん散らかって,いっそぜんぶ形状記憶にしようか,あれを開発した人が次の皇帝で決まりです.

五月の空の下,洗濯物を干す女の子の様子を「晴れの似合う少女にこそ幸あれ」と評したのはジャン=ロタールですが,その一方,洗濯物をたたむ女性の様子は所作の小ささや家事中の乱れた室内が絵にならないのかフィクションでは見かけないように思います.フィクションというものが理想を描くことが出来るものだとして,僕の理想を言うならば,洗濯物をたたむことを厭わないような人こそが素敵な人なんじゃないかと,衣類を整理するうちに思いました.

冬物を出して夏物を戻す,衣替えの季節にそのような出し入れをすることも,洗濯物を干すことよりは洗濯物をたたむことに近い,絵にならない作業であるように思います.あの,つまり今夜は秋野紅葉の話をしたかったわけで,ここで世話好きという性格の一見生活臭の漂う地味そうなところにも,洗濯物を干す気質と洗濯物をたたむ気質の二通りが有り得るのではと思うのです.彼女が季節の変わり目の衣類の出し入れを頻りに気にしていたのが印象的でね,この人のことをもっとよく見ていたいと思ったのでした.

さくらむすびは昨年末から一文字たりと読み進めていないのですが,それでもなおいろいろ書きたいと思えることがあるのは,僕にとっては幸せな流れです.

サウンドトラックは欲しかったけど通販締め切りが思いのほか早くて逃しました.残念.

疏水太郎