彼ら彼女ら,のこと

何かの余談として書くくらいがよいのだけど,まぁ.

一般には子供であるとか青少年であるとか呼ばれる若年のひとたちに見られる振る舞いや様子を語る時に,うっかりその主体を少女と総称してしまうことがあってね.例えば少女の可愛らしさとか少女の傷つきやすい心がといった言い回しが実は,少女を青少年と置き換えても間違いがなさそうな場合に,自分の受け入れてきたメディアや教育があまりに素で知れてしまうような気がして恥ずかしくって,だけど青少年と言い換えるのは堅苦しくて子供と呼ぶのはえらそうで,しかしまた彼らだけだと彼女らが含まれてないような冷たさが感じられて.だから,少々回りくどいけど彼ら彼女らくらいにしておくと僕のなかでは折り合いが良いです.

自分がそうなもので他の人が少女という言葉を使ってるのを見ても,なぜそこで青少年という言葉を選ばなかったのか考えがちです.

たぶんsense offで直弥と透子の二人のことが気になって,少女だけでなく少年の事情も語るべきことのなかに相当含まれてるんじゃないかと思い始めたのではなかったかな.ちなみに僕の文章に「彼ら彼女ら」が初めて出てくるのは2002年の話で,改めて読むと我ながらなるほどと思う文脈で使われています.そしてこのなるほど感こそが熟成と呼ばれる時が紡いだ忘却の魔法ね.

疏水太郎