桜のきわは曖昧の

奈良県上北山村の桜は秋にも咲く,と先日地方版で読みました.前に紅葉,後ろには桜,あるいはその反対か,浦島伝説に謳われる四方四季の庭の,東は春,南は夏,西は秋,北は冬の景色に臨むのを,ひと眺めすればたちどころに一年が過ぎるというように,桜と紅葉を同時に置く様は季節が曖昧の妖しい気色です.

夏頃に両親が二人でドライブをしたという話をちょうど母から聞いていました.午前9時に村へ着いたら薬師湯と呼ばれる日帰り温泉がまだ開いてなかったので,近くにあったホテルのラウンジで休んでいたら,昼食と温泉がついていくらかの割安なお値段.結局,そこでご馳走もお風呂も頂いての浦島太郎も驚くような宴,と聞こえたのは,母の話しぶりが楽しかったからだろうと思われますが,それにしても前に伊勢旅行の話を聞いた折の,伊勢のくせに不味かったというペンション流・海老料理,そのプラス2000円か何某かで夕食につけてもらえるようなものと比べるにつけ,大台ヶ原を抱えた山奥のこの地の伊勢海老は大層美味しかったとか.

秋に桜が咲くならば,山と海さえもかくや.ホテルは元村営であった「かみきた」で,この魚料理の秘密は熊野灘まで山を越えて1時間という距離にあります.つまり,山が海まで迫った地勢の落差が背景で,そういう土地では季節の花の落差も一層に感じられます.

遠い昔話では,こちらもまた霊異のありそうな地に,秋の桜にまつわる地名が伝えられています.奈良県は山の辺の道に桜井という名の市があり,その由来として五世紀の履中天皇ゆかりである「桜の井」と呼ばれる井戸があるそうです.ここでこの桜の井との関連は定かでない同じ土地の伝説として,履中天皇がこの地で秋に咲いた桜に驚いたため,磐余稚桜宮という名の宮を営んだという話が日本書紀に見られるようです.一般に季節外れの開花は返り咲きとも狂い咲きとも言い,定めて秋にも咲く種は十月桜と呼ぶそうですが,いずれにしても奇瑞は春でない秋の開花にあって,その印象に深いのは当たり前と思っていた季節の巡りを改めて意識させるためではないでしょうか.十月桜と同じ種であるかどうかは知らないのですが,上北山村などでは春と秋とに咲く桜を四季桜と呼んでいます.十月桜という呼び名よりは,回転のあるこの呼び名のほうが僕には好ましく思われます.

疏水太郎

参考:
・小川和佑「桜の文学史」(朝日文庫)
上北山村公式ホームページ
桜井市観光情報サイト