福は外,

僕の部屋とリビングとの間には扉が二枚あって,たまの帰省,閉めきるのはつれないだろうと近ごろ開けたまま仕事をするのですが,母は何か用事があってやって来る毎にそれを閉じながらリビングへ帰ってしまうのでした.長年閉じられた扉が開いているのはまさにしまりがないと感じられるか,あるいは気遣い,敬しつつ遠ざけつつか,扉の開け閉めひとつでも家のなかの複雑な気配が見え隠れします.

さて,戸の立つところに内と外とは現れて,怖い者どもを外へやるため人は家を建て戸を立て背を守り温もりするわけですが,ときにある子供が夜眠る前,自室の扉をすこし開けておくのは,戸の内側にこそ闇にしじまに天井に怖い者ども生じ,部屋に溢れるからでありましょう.これは主に僕や sense off の珠季の話をしているわけですが,おそらく珍しい事情ではないもので.福は外,鬼は内,と子ども逆さまに囃したてるがごとく,気配の流れが戸の隙間を抜け,廊下を心細く進み,両親のくつろぐ明るいリビングまで届いていてようやく,自分も鬼も寝静まるのでした.

猫の住む家の玄関に想を得て,再び猫通信について考えました.家のなかの戸やふすまには全て猫用の小さな口が空いていて,人の扉が閉じていても猫だけは通り抜けることができるものとします.内と外とを現しつつもどちらが外か内か判らない扉という奴ばら,これによって一層わやくちゃにしてやろうではありませんか.喧嘩して閉じこもった部屋にも猫だけは入ってゆくことができるのです.例の意味ありげな顔でもって僕を見つめて,また猫扉から出てゆきます.大山鳴動して猫一匹,とかなんとか,猫がなんとなく繋いでくれるからほぐれてゆく怒りもあったり,なかったりします.意味や効果の気まぐれなところが猫通信の真髄です.

疏水太郎