僕が恋愛とキャラクターをそこに見るとき.

お話の後ろのほうになってから過去の事情を持ち出すのは気をもたせたりびっくりさせたりするためのよくあるケレンです.しかし,舞と真琴に関して言うならば,彼女ら自身や第三者が事情を語り始めるのではなく,彼女らの事情に対してもっとも驚くであろう祐一が語る形を取るところに大きな転倒があります.それは彼女らの奥ゆかしさであるとか,驚くべき役目は読み手のほうに投げ渡しているのだとしてみてもよいかもしれないですが,恋愛する気持ちをあの場に持ち込みたい僕としてはむしろ祐一の女の子に対する過剰なまでの踏み込みがこの転倒した語り口に現れ出ていると思いました.また,夜の学校の不思議なひとときや耳から突き抜けてくるイメージの世界,訳もなく叩かれたり倒れ伏したり唐突なばかりの少女との関わりというのは,恋愛を思い起こすのに相応しい状況であったとも思います.

不思議さ,美しさ,唐突さ,苦しみ,それに対して熱く語り返す祐一はひどく恋愛に巻き込まれている.少なくとも女の子の過去の事情についての真実性に焦点は置かれない,つまり真実性は本人ではなく祐一が語り手となることによって留保され,しかしその留保によってこそ祐一の感情が強く語られ,少女もその気持ちに応えてゆくというラブストーリーが成り立っています.

一方,僕があえて真実性に注目することによって,語られた後の話や語られた内容そのものへ深入りしたいと思うこと,例えば天野の過去や真琴が帰ってきた後のことについて詮索したくなるのもまた,彼ら彼女らと関係し続けたいという切実な欲望としてあります.だからそんなお話を読んだり,作ったりする.

それらはもしも,あるコンテンツにおいて男の子と女の子とが出会ってしまったならばのことで,そして僕がそれを望んでいたならば.

そのとき僕は彼ら彼女らの一挙一動から恋愛を示唆する要素を見つけ出したいと助平に願うし,彼ら彼女らと関わりたいがばかりにその事情を下品に詮索しもする.そうしたあまり美しいとも言えず時に矛盾した結果をもたらす感情たちは,僕が彼ら彼女らの暮らしぶりの中に巻き込まれ,混乱していたことを証拠立てるものとして,いつも後になってから思い出されます.

余談ですが,明鏡国語辞典によると外連(ケレン)は懸恋とも当て字するそうです.それは祐一と舞との物語展開をぴったり一言で書き表しているように思います.

疏水太郎