D.C.S.S. #11

「銀の匙」(中勘助)の話がとても好きなのは,あの子がどんけつだったり女の子のするような遊びを好んだり,相手が子煩悩な伯母さんであったり,そもそも女の子としか遊ばなかったり,自分たちの柔肌と月との美しい調和に驚いたり,まずはそういうところになります.たぶんほかのひともそう.

だけど彼自身が回想するように子供にとって体の発達は決定的であって,そのために彼はガキ大将になってしまいます.すると僕としては勝手ながら裏切られたような気分になるのだけど,その話はいったん流されて,今度は兄たちとのことが主に語られるのでまた自分は兄たちと比べればへっぽこな男の子であるという話になります.周りの者たちから長じるというのは相対的であって,例えば僕がいつも年上の人を見ていれば僕はいつまでもへっぽこのままだと思えますし,じっさいいつもそう思ってます.「銀の匙」のほうもいつまでたってもそんな風にすることで自分をへっぽこのままに置いておきたいという話なのだと思います.

中勘助としてはそのさかさまの話もあって,彼が大人になってからは彼が伯母にしてもらったように,長じたものがそうするように,妙子さんを猫可愛がりすることになるのですがそれはまた別の素敵なお話(「郊外その二」「妙子への手紙」).年上の人と一緒にいるか年下の人と一緒にいるかで自分は幼かったり長じたりするという,そんなあたりまえのこと.

そういうわけで,手のひらからグリコのおまけを出す魔法って高校生に見せても駄目だけど子供に見せたら喝采浴びるよねと思ってたんだけど,今回まさにそういう話だったので僕は大喜びでした.きっと彼女はすごい大人だーと思われたに違いないです.

このたわいもないものによって繋がれる年長者と年少者の関係は,手のひらから和菓子を出す魔法についてはおばあちゃんと三人でいたあの頃を思い返すために擬似的に使われていた節があるのですが,ここでようやく素直な形で出てきたことが新鮮でもあります.

疏水太郎

(関連:ソマミチくんとこ.