LOVELESS vol.1

「人生」という言葉にはちょっといやみたらしいところがあって,子供が使うとそもそも漢語であるために不釣り合いであるように聞こえます.あるいは「忘却」という言葉もそうかしら.子供はよくものごとを忘れるけれど,それを忘却という言葉とは結びつけ難いという風に.

疏水太郎

D.C.S.S. #9

ある子供にとって,眠るとき部屋の扉を少し開けておくことは重大で,意外かもしれないけれどつまりその子供にとって怖いものは部屋の外ではなく部屋の中にこそある.

部屋は暗くて怖いから,お父さんお母さんのいる居間や寝室から流れてくる気配を戸の隙間から招き入れる.あるころ僕が寝ていた和室は天井が板張りなものだから薄暗いなかで木目が絡まったり節がぎょろりとする.壁には観音様や翁の面が掛けられていて,子供心には有り難いどころかただ不気味に映った.

いつ頃のことだったかは曖昧であるが,その部屋ではしばらくの間,ひょうきんな顔をしたおばあちゃんが添い寝をしてくれていた.僕にはもちろんおばあちゃんが二人いて(お母さんが一人しかいないのにおばあちゃんが二人いるということは時々妙なことのようにも思われるのだけど)もう一人は尽きることない使命をもった姫様である.もしもあの姫様の添い寝だったならどんな物の怪だって逃げ出していただろうけれど,このやるべきことをみんな終えてしまったようなやわらかな人のほうは物の怪もなにもかも一緒くたに眠らせてしまうようだった.

洋間のベッドで眠るようになってからは時々,扉を少し開けておかなくてはならなかった.手に負えないほどすごいものが降りて来たときには部屋を飛び出していった.大学生になってまでそういうことがあったが,さすがに両親のベッドへもぐり込むわけにもゆかず,ひとりで途方に暮れていた.

ずいぶん長い時間がかかったが学校を修了して,いつしかあの大きな物体が降りてくることも無くなって,僕は眠ることが出来るようになった.

ひょうきんだったおばあちゃんも,いつの間にか本当に眠ってしまっていた.

疏水太郎

静止するもの

イカルス憑きの少年が,
ソーラーパネルの羽根しょって,大気圏から飛び出した.
翼の電気のシグナルで,少年は告げる.

アテンションプリーズ,アテンションプリーズ,
この飛翔体はまもなく永遠に到着いたします.
前方をごらんください.
僕はいつまでも地球へ落下し続けます,
僕が落下しただけ地球は僕から離れてゆきます,
僕はいつまでも宇宙を回り続けます,
いつまでもあなたの空の高くに輝いています.

墜落する少年のさだめがロケットと釣り合うとき,
宇宙時代のイカルスは高度36,000キロメートルの星となった.

疏水太郎

うたれるもの

どんなメロディであれダ・カーポを使わずに記すことは出来るので,そこにわざわざダ・カーポが打たれているとすれば,それは構造に対する意識であるか効率的な精神の現れであると勘繰らずにはいられません.

連続した流れがif~thenするというような記法はコンピュータの登場によって普及したと思われますが,そもそもダ・カーポに代表されるような反復記号やそこに含まれるジャンプの仕組みが音楽に対して意識されていたのならば,なるほど,分岐し反復されるストーリーとは少なからぬ人にとって自然なものであったのだと感じられます.

疏水太郎

言の葉を

葉脈までまさぐるかのように愛撫すること.
そういうの,望んでしまうじゃない.

修辞的なまさぐりは声にした瞬間,壊れてしまう.
デートするって文字では書けても電話口で言えない.

恋文って素晴らしい発明だと思いませんか.

疏水太郎

かみちゅ #7

僕の母は僕の姉と同じ県立高校に通っていた.これが不思議だ.僕にとって学校というのは3年か6年だかに一度ぜんぜん違う土地へ飛んでゆくもので,女性だけがこう,何かを受け継いでる.

一度だけ見た卒業アルバムには僕の知らないお姉さんが映ってた.

先日,母が新しい職場へ電車通勤を始めたと聞いて驚いた.僕が小さい頃から見てたママチャリに乗って仕事へゆく姿とは違って,還暦の母がまさにひと巡り若くなったように感じた.

そこは僕が一度だけ連れて行ってもらった城下町で,城内には別の県立高校があって,春には満開の桜が綺麗で秋にはおそらく紅葉が彩るだろう通学路を,毎朝くぐり抜けてゆくという母は,生徒たちに交じって,僕の想像の中では女学生のような絵になっていて大変美しい.

疏水太郎

けっこん

冷奴とだったら結婚したっていいです.
(とうふちゃんのことじゃないよ.)

ちっちゃい頃から好きだったなんていうと
おっさんくさいと言われるのですが,その真逆で,
そのころたいへん軟弱な子供だった僕は
豆腐以外のたんぱく質を噛み切ることができなくて,
夕食にいつも冷奴を添えておくのが苦肉の計であったのでした.

つまり,「銀の匙」でひとすくい,というわけ.

疏水太郎

D.C.S.S. #8

夫婦喧嘩をしないご夫婦というのはおそらくいなくて,
あたりまえのことではあるのだけれど,
そんなとき子供としては世界が終わってしまうような気持ちになるもので,
じっと嵐が過ぎ去るのを待っています.

このとき僕には姉がいて,姉には僕がいて,
だから一人っ子はどうだか知らない.

きっと背を向けて,鍋のなか,じっと見つめたりしている.

疏水太郎

初恋オルタナティブ

「涼宮ハルヒの憂鬱」は「涼宮ハルヒの初恋!」というタイトルのほうが似合ってますよね.前にも書いたけど.

なんだか恥ずかしいよね,ってところに注目したいです.

疏水太郎

声ある声

声と文字とを比べるとき,たとえば声のほうが文字よりも本当の気持ちを伝えやすい,ということは一概に言えないと思うのですが,ただ耳から伝わる振動をより恋しく思うことってあるじゃないですか.

疏水太郎

みちのく 卒業 恋物語 (平泉編)

僕らの高校卒業旅行は二度ありました.みなが合格するのに二年かかったからです.どちらがどちらの旅行だったかなにぶん昔のことで忘れかけていますが,みちのくへ旅した時はメンバが若干少なかったはずなのできっとこちらが一度目(1993春)だったのでしょう.

ちなみに二度目は紀伊半島を一周しました.川湯温泉に熊野三社……あとは思い出せません,どこか岩をくりぬいた温泉があったことだけ覚えてます.「和歌山 岩をくりぬいた 温泉」……あっ,絶対この「つぼ湯」という場所だ,覚えてる.ほんと懐かしい.

当時はあまり写真を撮らなかったのだけど,その頃のことでもこうやって思い出すことが出来るのですね.

みちのくの旅に関する断片的な記憶は,その3年後に書いたらしい僕の文章からもかろうじて思い出すことが出来ます.これによると二泊目が花巻となっているので,その前に一泊しているはず.どこだっただろう.確か妖怪をテーマにした旅で,九尾狐の何かがあったのを覚えてます.たぶん,那須湯本だと思うのだけど,こちらはあまり見覚えがありません.

あとの記憶のかけらをつなぎ合わせると,僕らの旅はたぶんこんなものだったのだと思います.

1日目朝 京都発
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那須湯本 殺生石
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那須湯本泊
 ↓
2日目 那須湯本発
 ↓
平泉 中尊寺,毛越寺(もうつうじ)
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遠野市 遠野昔ばなし村,あとどこか.
 ↓
花巻泊
 ↓
3日目 スキー組と会津組に分かれる.
 ↓
会津若松 会津城 白虎隊記念館
 ↓
新潟 夜行で京都へ.

二日目のあわただしさが奇妙ですが,そのせいで遠野も花巻もほとんど回れなかったはずです.

さて,そういうわけで今回は某みちのくゲームの平泉編が終わったので,平泉の話.中尊寺金色堂は教科書で見ると時代を越えてきた力を想像させますが,実物は保存のためガラス越しにしか見ることが出来ず,虚弱です.博物館だと思うとちょっと納得できます.ゲームでは金色堂の写真は出てきませんが,おそらく撮影禁止だったのでしょう.

「えさし藤原の郷」はもし当時オープンしていたなら必ず立ち寄ったはずです.「炎立つ」が1993年夏からですから,まだ撮影中で公開されていなかったのかも知れません.

カメラを持ってなかったためか,出会いは特にありませんでした.どこが恋物語やねん.なんてね.

疏水太郎

rNote create_storyプラグイン version 0.2

ギャラリーページが作成可能となりました.

ギャラリーでは絵をテーブル状に配置したいことがありますが,blogのエントリをそのように配置するのはこれまで困難でした.このプラグインは複数のエントリを集めてテーブル状に配置した一つのエントリを生成可能とします.

▼使用法

基本的には ver 0.1 と同じですので,そちらを参照してください.以下の点のみ異なります.

  • ギャラリー記述例:gallery050907.xml
    EntryList要素内にカンマ区切りで列挙されたエントリをその順番につなげて表示します.
    リストの始めに数字を入れると,その値と同じコラム数でテーブル状に配置します.数字を入れなければver 0.1同様縦一列に配置します.
  • 上記ギャラリーの実際の表示:gallery050907.htm

▼必要なファイル


自由にご利用,配布してくださって構いません.ただし,もしもこのプラグインを原因として損害を被られたとしても補償致しませんのでその点ご理解の上で宜しくお願いします.


現段階でも相当融通が利くのですが,GetContentsEachがモジュール化されていればもっとこんなプラグインが書きやすくなるかも知れません.

疏水太郎