ToHeart2 #1

一年といえば二十歳を超えれば誤差の範囲ですが,兄弟間のたかだか一年の差が埋められないものだとすれば,先方がずっと年上である態度をとってくれて,こちらが年下である態度を守り続ければこそでしょうか.僕は生まれながらにして姉の弟であって良かったと思っています.

二段ベッドで暮らしていた間は時々ふたりでひとつのベッドに眠りました.ふたりで枕を並べるのが狭くなった頃には両親に呆れられて,思えば小動物が二匹,近くにいたなら一緒に眠らないほうが不自然でした.だけど先にも書いたよう,眠れない夜に姉のベッドへ潜り込むということはありませんでした.当時の姉は眠ろうとすればさっさと眠れる性質で,そんな風に見えてない同胞というのはときに頼りにならなくて.

お話のほうでは幸せそうな兄妹の姿がそこにありましたので繰り返し視聴.僕が眠れない夜の話をすることによってそういうお話と出会っちゃう,お話のほうから僕の方へ寄ってきてくれるというのが例によって可笑しいです.

中学から高校へ進学するというイベントを僕は逃してしまっています.高校を出たときも校舎が名残惜しいということはなくて,卒業のとき校内をいろいろ見て回ったというのは大学を出たときでした.中学高校の頃の僕は今よりもぼんやりとしていましたので,愛着という気持ちを持ち始めたのがようやく大学の頃だったのだと思います.

いまさらにして中学の校舎が思い出されますが,創立以来のぼろ校舎は数年前に最新モードへ変身したため今は見る影もありません.唯一,隔離病棟と呼ばれた高三専用の校舎だけが残っているはずです.だけど僕はその校舎に居た時間が人よりも短かったし,なにより新しい校舎だったのであまりいい居心地はしませんでした.旧校舎のほうはどこか薄暗くて,受験のとき見て回ったどの私立校よりもおんぼろだったのですが,男子校であるのに掃除の行き届いていることが自慢で,石張りの廊下をつるつるになるまで雑巾がけしたものでした.

学校の階段は優れた遊具で,もちろんわざわざそれ用にしつらえた屋外の器具よりも魅力的でした.段を飛ばして昇り降りするのが楽しい.石造りの手すりがつめたくて気持ちいい.階段っていうのは足だけで使うものじゃなくて,たくさん手で触った.はだしでも触れた.手すりにほほをくっつけた.彼女が手すりの上を歩くシーンはゲーム版では屋外でしたが,これを校内へ持ってきたところにセンスの良さを感じます.

文化祭や卒業式には普段,勉強道具しかない教室におかしやジュースの並ぶのが不思議でした.机を島にしたにわかづくりのパーティー会場が一層いつもと違う雰囲気にする.

男子の学ランは中一のうちは大きくて制服に着られるものだから,変な服着ているという感はありました.女の子の場合,そういう意味で新しいセーラーやブレザーが似合わないってことがあるのかちょっと判らない.僕が高校生になって学帽を被らなかったりカラーのホックをはずすのを恥ずかしく思わないまで苦労したみたいに,なにかそういうことはあるのかもしれない.

そんな風に,彼女みたいにいろんな出来事の詰った春休みがあったかもしれないねって,たくさんの過去の風景が思い出されたのでした.まったく素敵だ.

疏水太郎

D.C.S.S. #11

「銀の匙」(中勘助)の話がとても好きなのは,あの子がどんけつだったり女の子のするような遊びを好んだり,相手が子煩悩な伯母さんであったり,そもそも女の子としか遊ばなかったり,自分たちの柔肌と月との美しい調和に驚いたり,まずはそういうところになります.たぶんほかのひともそう.

だけど彼自身が回想するように子供にとって体の発達は決定的であって,そのために彼はガキ大将になってしまいます.すると僕としては勝手ながら裏切られたような気分になるのだけど,その話はいったん流されて,今度は兄たちとのことが主に語られるのでまた自分は兄たちと比べればへっぽこな男の子であるという話になります.周りの者たちから長じるというのは相対的であって,例えば僕がいつも年上の人を見ていれば僕はいつまでもへっぽこのままだと思えますし,じっさいいつもそう思ってます.「銀の匙」のほうもいつまでたってもそんな風にすることで自分をへっぽこのままに置いておきたいという話なのだと思います.

中勘助としてはそのさかさまの話もあって,彼が大人になってからは彼が伯母にしてもらったように,長じたものがそうするように,妙子さんを猫可愛がりすることになるのですがそれはまた別の素敵なお話(「郊外その二」「妙子への手紙」).年上の人と一緒にいるか年下の人と一緒にいるかで自分は幼かったり長じたりするという,そんなあたりまえのこと.

そういうわけで,手のひらからグリコのおまけを出す魔法って高校生に見せても駄目だけど子供に見せたら喝采浴びるよねと思ってたんだけど,今回まさにそういう話だったので僕は大喜びでした.きっと彼女はすごい大人だーと思われたに違いないです.

このたわいもないものによって繋がれる年長者と年少者の関係は,手のひらから和菓子を出す魔法についてはおばあちゃんと三人でいたあの頃を思い返すために擬似的に使われていた節があるのですが,ここでようやく素直な形で出てきたことが新鮮でもあります.

疏水太郎

(関連:ソマミチくんとこ.

D.C.S.S. #10

眠れない夜に子供部屋から逃げ出して来たら,リビングではいつもと違う静かな空気が流れていて,テレビの洋画を父さん母さんふたりで見てた.僕もふたりの間にはさまって見ることになったけど,なんだか不思議だったあの空気は今にして思えば洋画が全く判らなかったからじゃなく,それがふたりだけのための時間だったからだ.

彼女にしても自分の目の前で流れてる時間以外はよく判らなくて,親のほうが勝手にあれこれ心配して,子供が人に迷惑かけたのは自分らが構ってやってなかったからじゃないか,まぁヤンママヤンパパだからいちゃいちゃしたい盛りではあるけど,どうも後ろめたくて,だから今日の夕飯はごちそうにしたよ,なんて言われても子供のほうとしては首をかしげるだけで,理由は判らないけどおいしいからそれで良くて.そうやって判らないながらも二つの世代の時の流れはときに撚り合って,僕みたいに二十年以上経ってからようやく思い出されたりするのです.

いい思い出をありがとう.

疏水太郎

いつか魔女になる日まで #1

そうじのまほう

毎年1つは新しいことをやり始めたいと思っています.2003年にもPainterを使って何枚か1ページ漫画の下書きをしていたのですが道具が手に馴染まなくて,別の機会をうかがっていました.それで少し前にクローバーランドのお姫様がCloverPaintを使って完結したので,これなら漫画も描けるんじゃないかとぼちぼち描き進めていました.

というわけでこれは僕がはじめて描いた漫画です.中高校生がよくやるみたいにルーズリーフ四コマを友達に回してたのなんかを除けば,人に見せるはじめてのものになります.

ふつう漫画というのは大きな紙に描いてから縮小して人に見せるものですが,この絵はその反対に,皆さんがご覧になってる大きさの1/4くらいのPDAの画面に対して針穴に糸を通すような作業によって描かれています.小さな画面では気付けなかった間の悪さや大雑把さがあるかもしれませんが,PDAならではのドット絵が他にはない味を出してるんじゃないかなと期待しています.

絵とおはなしのほうは,ともかく好きなものをいっぱいに詰め込んだ,という感じです.そうじ,魔女,猫,星,レンガ,おばあちゃん,アイシア.

疏水太郎
(Zaurus SL-C3000 + CloverPaint1.1, 12hours)

私のデフォルト推論

今日読みかけた小説の冒頭に次のような文章があったので喝采をあげた.「私は近頃死んだ母が生き返ってきたので恐縮している.私がだんだん母に似てきたのだ.」ここ数日ちょうどよく似たことを考えていたため,巡り合わせというものを面白く感じた.

それで楽しく読み進めていると,1ページほど先に今度はこのようにあった.「母は私をオメカケにしたがっていた.」・・・なんと,私,というのは男でなく女だったのである.たいへん驚いた.

普通は勘違いしないところだろうけど,デフォルトというのは読み手の昨日今日の出来事にも左右されるものでさ.ついでにいうと,直前に同じ作者の私=男な話を読んでいた.

それはそうと,男の子は母親似で女の子は父親似という俗信は,性別で縦割りにしようとする向きにはカウンターとして効いていて,なるほど,世の中よく出来たものであると思う.

疏水太郎