わたしたちの田村くん(1)

人生は辛いことばかりです.だから「こなかな」同様,語り手を選ぶ話でね.身の回りの苦しいことをいろいろと連想させる話でしたが,田村くんがマンボ!とかあほをやってくれてるおかげでなんとかめげずに彼らの行く末を確かめることが出来たのでした.この話は語り手に恵まれていて,高浦くんとか田村くんの周りにいる男の子たちはみんな,類は友を呼ぶと言いますか,この話の語り手で有り得るような感じがして,例えば「高浦さんちの家族計画」は一見おまけっぽいですが,田村くん以外の語り手がいることによってその共通項が注目される,つまり彼ら男の子たちの語り口にはオーバーアクションが貫かれていて,それが強靱かつ可愛らしいということに気づかされるがため,この本にとって欠かせないです.

念のため贔屓を明らかにしておくと,高浦くんが好きだなぁ.

語呂について言えば「うさぎホームシック」というタイトルが大変お気に入りです.うさぎ年だし,僕.

疏水太郎

さくらの境(1)(2)

大学入り立ての頃,先輩に竹本泉を勧められたときには,男の子と女の子がなんかよく抱き合ってるのがいいんだと聞かされていたのですが,そのころの僕はそれがなぜいいことなのだかよく判ってませんでした.今にして思えば竹本泉的には昔からずっと,人はべたべたぺたぺたしていたいよね,ということであって,女の子同士に限らず一般に男の子同士であれこんな風にしていたいという話なのだと思われます.

それはただ当たり前のことであってほしいと望まれたのでした.家になんか帰りたくなくて毎週のようにお泊まりしていた頃のこと,僕はといえば二十歳を過ぎてもまだちゅーしたり一緒にお風呂入ったりしたくなる風に身体が出来ていなかったのでそれはしなかったにしても,友達の背中や肩にひよこみたいにぴったりとくっついて回っていたものでした.学部時代,人間らしい目にあった一番のことは,その頃,甘えさせてもらったことだったと思い出されます.

疏水太郎

リトルバスターズ

“四人の男の子が現れて,僕に手を差しのばしてくれたんだ.”
http://key.visualarts.gr.jp/newsoft/story.htm

四人の男の子だって!(なんか違うのも交じってるけど)
すごいドリームだ.救いを求めるよちよち歩きの情念が見た夢かしら? 呼吸が止まるわ.

うん,そういう過去を願うよね.四人といわずいっそ十二人くらい現れてほしいと思います.

疏水太郎

ちいさい人たちの話

永久アリス#1.きらはのすごいふくれっ面.中学1年生といえば小学生が下駄履いたようなもんですから,ぷくーっと変な顔してたらお兄ちゃんに嫌われちゃう,とかいう発想はないわけです.まったくいいお顔ですこと! 中学2年の有人君のほうは,ほっぺの代わりにアリスに対する想像や期待をふくらませて自分だけのそれを書いてしまう,未知のものについて自分だけのそれを作り上げてしまう,その真っ白な場所を埋めてゆく勢いはこの年頃ならではで,あの頃っていうのは知らないことを学ぶスピードよりもそれを想像するスピードのほうが速かったような気がします.

今のところ人に知られたら首を吊りたくなるような秘密を持ってる風でもないというのもいいです.早々にありすが有人へ事情を打ち明けるように,ちょっとした内緒話のレベルであってね.お互いのこと好きとか嫌いとか隠してなくて,有人がありすのこと気になっててありすが有人のこと気になってるのは互いにほとんど知れてるじゃない.ありすときらはの喧嘩もどちらかといえば有人が取り残されちゃう程度には彼女たち二人のほうが息は合っていてね.深刻にならないというのは良いです.ああつまりオープニングアニメの三人が幸福です.

ちょっぴりエッチであることについては,かつてセーラームーンSuperSではまる一話かけて女の子のプロフィールを紹介してから同じ目に遭わせていたねちっこさを思い出すと,そういう盛り上げをしないこちらは子供っぽいちょっとしたエッチで可愛らしく思われます.

疏水太郎

サナララ(最終回)

矢神由梨子.サナララ,という音の並びは一見無意味であったわけですが,椎名希未や三重野涼の話が寄って立つ無意味さ,いやつまり寄って立たないそれら,例えばよく知らない人と屋上で会ったとか靴紐が変な風に結ばれてたとかそういうことが彼ら彼女らにとってどうしてだか劇的に感じられたことに比べると,答え合わせが可能な意味のある音の並びでありました.コミュニケーションが成立することによるコミュニケーションがあっても良いのかもしれないっていう,それはおとぎの国の呪文ですか?

別れの挨拶が呪文でないわけはなくて,さよなら,という言葉はよくそんな風に捉えられていて,かつて,さよらな,と言った女の子も居ましたね,とか,なにかと喚起力の高い音の並びであることは間違いないと思われます.

それはそうとしてやはり,第1話と第3話のエピローグにおいてこの人たちが突き動かされる気持ちの,どこへも帰結し難いような様子が好みです.

サナララ
サナララ(2)
サナララ(3)

疏水太郎