四葉の眠れない夜のお話

1.ノーム族の兄

四葉はまだ小さな女の子でしたので,眠れない夜はいつもベッドを抜け出して兄たちの起きている明るい部屋へ入れてもらいに行きました.そこでは十二人いる兄のうち必ず誰かが起きていて,四葉をひざの上に抱いたり,お話をしたり温かいものを飲ませるなどして四葉が眠くなるまでずっと側にいてくれるのでした.

その夜も四葉は兄の温もりを恋しく思いました.眠りの国へと続く道に日の落ちる気配はなく,辺りは煌々と照らされて,しかし何もない灰色の荒れ野が続いていました.すぐに眠ることの出来る日はどうしてこの景色に気がつかないのでしょう.心細くてたまらなくなった四葉がまぶたを開くとそこは彼女の部屋で,明かりの消えた天井とカーテンに閉ざされた窓が重く黒々として見えました.

四葉はなかば手探りのまま部屋の端までたどり着き,扉の前に立ちました.頭はぼおっとしてまださっきの荒れ野にいるような気がしましたが,四葉が祈るようにゆっくりノブを回すと,部屋に眩しい光が差し込んで,兄の気配が満ちてきました.その光を見るだけで四葉には今夜自分を待つ兄が誰であるのか判りました.扉の先は黄金の回廊で,それはノーム族の兄の元まで続く道でした.

ノーム族の兄はこの世のさい果ての山脈を治める魔法使いで,物質のあらゆる美に通じていました.この兄が蒐集するミニチュアはその一つ一つが世界の法則を示すひな形でしたが,四葉に言わせるとこの兄は兄たちの中で一番のおもちゃ持ちでした.四葉のお気に入りは金銀砂子の箱庭で,そこに硝子や瑪瑙,大理石などで出来た綺麗な玉を転がしてやると,玉は互いに引かれたりはじけ合ったりしながらくるくると円を描きました.四葉はまだ兄のようにうまくは出来ませんでしたが,「四葉が大きくなったら玉の原理を教えてあげる.そうしたらきっと僕よりうまく出来るようになるよ」と兄が約束してくれたので,四葉はいつか大人になる日を楽しみにしていました.

兄の元にはそのような宝物が数え切れないほどありました.兄が自分の棲み家を黄金の迷路で隠したのはこのためです.しかし,それは四葉にだけ見破ることのできる幻で,四葉が歩くと迷路の壁は付き従うように道を開きました.やがて,黄金のまやかしがみな王水に溶けると,兄の実験室が姿を現します.その部屋は物語のなかのどんな竜だって収まりそうな広さで,天井は高く,四方八方すき間なく扉の据え付けられた壁に囲まれて,壁から部屋の中心へ向かって背の低い戸棚が列を成していました.

「いらっしゃい,四葉.」

声をかけられたとき,四葉はいつの間にかもう兄の目の前に居ました.兄はときどきこんな魔法で四葉を驚かせます.ノームこびとである兄は四葉よりも少し背が高いだけで,大きな樫の木の椅子に子供のように埋もれながら座っていました.とても長い年月を生きてきたのだと四葉はいつか聞かされましたが,その顔は若々しく,四葉にはこの兄がちょうど自分の兄であるくらいの年頃に思えました.

広い部屋の真ん中に四葉と四葉の兄は居ました.正しい規則で並べられた無数の棚に囲まれて,大きな樫の木の机と椅子と,それと隣り合うようにもう一つ小さな椅子がありました.自分の席に着いた四葉は兄からキスの歓待を受けました.普段あるじのいない小さな椅子はこの部屋の規則から外れているようにも見えましたが,それはこのとき優しさで満たされるためにあったのです.

四葉はどこか遠くで時計が鐘を打つのを聞きました.一つ響くたびに一つほおにキスを受け,そして,二つ,三つ,と数えるうちに,四葉の寂しかった夜の記憶は次第に安らぎへと変わってゆきました.

2.おもちゃ箱の魔法

四葉が訪れると兄の瞳は魔法使いの金色から四葉の優しい兄の色へと変わってゆきました.すると,じっとしていた周囲の戸棚は緊張が解けたのか一旦ざわめいて,そののちに四葉を歓迎しました.たくさんの難しい「おもちゃ」たちがわれもわれもと四葉の前におどり出てきましたが,兄はそれらを追い払ってまた元の位置へと戻しました.そのほとんどは四葉が遊ぶにはまだ危ないものだったのです.四葉はこの部屋に一つだけ用意された四葉専用の棚からおもちゃを取り出して机に並べてゆきました.

「今日はどいつが四葉と遊びたがってるかな.さあ,はじめは積み木からだ,」

『ぼく,お城になりたいな.四葉ちゃんがぼくをお城にしてくれると嬉しいな.』

「お城にはだれが住んでいるの?」

『もちろん,四葉姫と王子さまが一緒に暮らすためのお城だよ.』

四葉は王子さまのお顔を想像しました.王子さまは兄と同じ色の瞳でほほえみをたたえていました.

「おや,絵の具もなにか言いたそうだぞ,」

『四葉ちゃん,一緒におでかけして絵を描こう.お外ではタンポポがたくさん咲いているよ.』

部屋を囲む扉はそれぞれ別の季節,別の時間へと通じていました.遠い昔,兄はこの扉を使ってさまざまの珍しい文物を集めましたが,今ではもっぱら四葉と外で遊ぶためだけに使われています.

おもちゃたちが一通り四葉を誘った後,四葉は今日の遊びを決めました.それは,おもちゃ箱を使った連想ゲームでした.

「それじゃ始めるよ.絵の具に似たもの,なあんだ?」

「ええと,スノゥホワイト!」

「どうして?」

「だって,白いお姫さまが一人いて,こびとが七人いるもの.」

四葉の絵の具箱には太い白色のチューブが一本あって,右へならえと細い七色のチューブが並べられていました.白色は四葉がぐちゃぐちゃと混ぜているうちにすぐ減ってしまうので,太いチューブなのにいつもお腹がへこんでいました.

「じゃあ,おもちゃ箱に手をいれてごらん.」

四葉がブリキ缶のおもちゃ箱に手を突っ込むと,中からドワーフのお家のミニチュアが出てきました.お家のなかではちょうどみんな夕食の席に着いたところで,お姫さまは少し腹ぺこそうに見えました.

「ありがとう! わたし,これ欲しかったの.」

こうしてすてきな連想をするたびに四葉のおもちゃが増えてゆくのが連想ゲームの楽しみでした.

四葉は連想にいろんな決まりごとがあるのを学びました.名前の似ているもの,見た目の似ているものは近いものであると言えました.お話と関係のあるものは連想しやすいことにも気がつきました.また,つくりの似ているものは近いものでした.例えばルビーとサファイアはとても似ているということを兄から教わりました.だけど,これは四葉にはまだよく判りませんでした.

この決まりごとはあちらを立てればこちらが立たずというものでしたが,ともかく兄の言葉に導かれてそのときその場でぴたりと当てはまるものが正解となりました.それが自分と兄だけにしか判らない秘密の答えだと感じられるのもまた四葉には嬉しいことでした.

3.賢者の石と二人の結婚式

四葉がたくさんの連想をして,たくさんのミニチュアを手に入れた頃,「今日はひとつ,応用をしよう」と兄は一つの石ころを取り出して言いました.

「これは賢者の石といって,物質を黄金に変えることができるんだよ.」

兄は石をブリキ缶にほうり込みました.すると『ブリキ缶』の中は『キンカン』のお酒で一杯になりました.

「さあ,四葉も同じようにやってごらん.」

四葉は石を片手に自分の戸棚を覗き込み,魔法の力を試してゆきました.

「てんてんてまり,高く飛べ,」

四葉が唄うと,紅色の鞠は金のまりへと姿を変えました.金のまりといえばカエルの王子さまのお話です.四葉はエプロンドレスをプラチナのウェディングドレスに変えました.ローズマリーのハーブをマリーゴールドのブーケに変えました.麦わら帽はブロンドのウィッグと錦のヴェール,そのようにしておよめさんごっこに必要なものを揃えました.王子さまの代わりに兄が四葉と手を繋いでくれました.金のまりを転がせば,金糸の刺繍の赤じゅうたん,バージンロードの両側に,おもちゃ戸棚の参列者.祝福を受けて歩く二人の行く手には純白の扉がありました,どちらからともなく頷き合った二人が扉を開くと,強い風が吹き込んで,小さな四葉は飛ばされそうになりました.けれども四葉はヴェールをおさえ,兄の手を強く握って,風に負けないように力ある足取りで扉をくぐり抜けました.

そこは,よく晴れた春の柔らかな光に秋の黄金が波打つ不思議な光景でした.四葉はどこか神聖な心持で兄とともに金色の野を歩いてゆきました.兄が手にしたブリキ缶から金柑酒があふれ出して,あたりに甘酸っぱく香る小川を作りました.兄は一株の二輪草を手にとって,双子の花をキンポウゲの指輪に変えました.四葉と兄が互いの指輪を交換し,再び手と手を取り合ったとき,四葉は空に何か大きな鳥が現れたように感じました.見上げると,月のまるい影が太陽を隠してゆくのが見えました.

「なにも心配することはないんだよ.いつだって僕が手を繋いでいるから.」

月の影がすべて太陽にはまったとき,天は星をちりばめて光のリングを浮かべました.

    金烏玉兎(きんうぎょくと)の仲人は
    キンカンいろの金環蝕
    二人の指輪は二輪草
    天にかざせばこがね色

兄が婚儀の歌を唄い終えた後,二人は乾杯をしました. そのとき四葉も少しだけお酒をいただきました.

それは,太陽と月と星とが一緒になった,昼だか夜だか判らないわずかな間のお話でした.四葉の体はぽかぽかとして,兄と結んだ手はよりいっそう温かく,四葉は次第に眠くなってきました.すると,どこからかまた鐘を打つ音が聞こえてきました.九つ,十,十一,と四葉は鐘の音を数えていたことをぼんやりと思い出しました.

そして,時計が十二の鐘を打ち終わる頃,四葉は幸せな眠りへと落ちてゆきました.

(終)