PDA絵のできるまで

1999年から2007年にかけて、下の写真のようなタッチパネル付きの携帯情報端末でたくさん絵を描いてきました。

シャープのPDA「ザウルス」です。
ザウルスで描く絵は「ザウ絵」、その他PDA一般で描く絵のために「モバ絵」という呼び名も提唱されました。

こういうのはPDAと呼ばれたのですが、もうあまり知られてないかもしれません。だいたいスマホの電話機能がないやつだと思って下さい。

タッチパネル液晶に直接絵を描くことができるというのは、高価な液晶タブレットを除けばPDAの独壇場でして、PDA絵というのは小さいながらも熱烈なファンの集まっていた趣味でした。

そういう楽しいけどあまり世には知られてないことをやってたので、PDAでこんな風に描けるんだよ!という制作過程の記事をたくさん書いてきました。今日はいくつか無くなってた記事も復刻できたので、PDA絵の「できるまで」記事をぜんぶ紹介したいと思います。

※復刻以外は当時のままなのでスマホではちょっと見づらいかもしれません。ごめんね。

作画工程「Seventh Pleiad」のできるまで (2005/1/10)

作画工程「kinder garden」のできるまで (2003/10/13)

いつか魔女になる日まで、のできるまで(2007/1/7)

How to PrismPocket(2002/5)

“sweetsland”のできるまで(2007/4/23)

[es] でお絵描き!(2006/8/2)

how to storybook (2005/9/5)

The storybook #13

How to art on Zaurus(1999/5)

書割星月夜

2005年以前の絵を集めたギャラリーです。

昔はpixivとかありませんでしたので、絵は自サイトのギャラリーにアップしていました。前回のサイト移転の際に埋もれてしまっていたのを見つけたので、表に出してみようかと。

よろしければ懐かしいCGたちを見てやってくださいまし。

2005年から1995年までさかのぼってゆきます。

PDA絵 (ザウルス・Palm)

2005年の絵をすべて見る(5枚)

deep rider

2004年の絵をすべて見る (16枚)

ana-chronistic ana

2003年の絵をすべて見る(23枚)

my fairy-tale princess

クローバーランドのお姫様 (ストーリー順に見る)

the stranger

2002年の絵をすべて見る(14枚)

四葉・鳥

2001年の絵をすべて見る(11枚)

「お空の向こうに居るあなただけは,わたしのこと分かってくれる.」 テムズ河上に想い耽る.

1999-2000年の絵をすべて見る (22枚)

亜理子(from '紺碧の國')

PC絵(on PC/AT, TabletPC)

2005年の絵をすべて見る (1枚)

Don't expose me to the sun!

2003年の絵をすべて見る(2枚)

四葉とリン・ポピンズ

2002年の絵をすべて見る (3枚)

四葉と大きな服

Macintosh絵

1995-1998年の絵をすべて見る (32枚)

その1 カラー。 1997-1998 (13枚)

その2 カラー。 1995-1996 (10枚)

その3 モノクロ。1996-1998(9枚)

2020-02-27 by sosui カテゴリー: note

Top Story

ひとまとまりのお話を集めました.

・童話

いつか魔女になる日まで (連載中)

女の子と猫の漫画.

クローバーランドのお姫様 (2005/9/6)

四葉と仲間たちの旅のお話.
2003/4/4から2005/9/5まで不定期に連載したものです.全13話.

フルォリット (1999/1/18)

蛍石の星のむすめと飛行機少年のお話.
1997/9/23に物語をWebへ掲載し,その後,Nifty-serve:FGALMMA「めろん・ぱーてぃ」絵本企画のため1999/1/18まで挿絵を描き下ろし続けました.

森の中心の天輪羅針儀(1998/4/21)

本作は私が夏町銅貨名義で公開した物語を,鈴猫さんがイラストを描いて絵本仕立てにした合作となりました.インターネットアーカイブに少しだけ残っています.

物語の方はのちにリライトして、カクヨムへアップロードしました(2020年1月3日).

高度一万一千メートルの屋上猫(2000/12/1)

森の中心の天輪羅針儀の前日譚です。

四葉の眠れない夜のお話 (2003/10/15)

・随想

桜のきわは曖昧の(連載中)

桜と紅葉と,フィクションの彼ら彼女らに関する随想.

[es] でお絵描き!

1.はじめに

新機種が発表され続けることによって保たれる勢いっていうのはやっぱりあって,ウィルコム+シャープさんが頑張っていろいろやってくださるのは,ザウルスファンとしても嬉しいところであります.(でもやっぱりザウルスのほうも頑張ってね!)

というわけで,W-ZERO3 [es] ことWILLCOMのシャープ端末WS007SH1を買いました.とりあえず絵がどの程度描けるのか,というのが重要なことですので,試しに描いてみました.買ったその日にちょちょっと描いてみたのが左.なかなかグッドです.

(WILLCOM WS007SH1,JINZO Paint 16, 10min,2006/7/27)

名機 ザウルスMI-E21と[es] (1)

直感的にeザウルスに似てるって感じただけなんだけど,どうだろ.縦の長さはだいたい一緒で,E21のほうが幅は広いけど薄いので(右の写真)にぎったとき手のなかにはまる具合がわりと近いです.ただし,E21は下へスライドするキーボードだから大丈夫ですが,[es] は右へスライドするので,本体を(左上の絵のように)背面から強く握ると少しぐらぐらします.慣れればいいけどはじめは落ち着きません.

名機 ザウルスMI-E21と[es] (2)
[es] と D902i

ちなみにほんとによく似てるのはこちら.最初に梱包をあけたときには D902i のお父さんかと思いました.PDAをよく見慣れている僕でも,D902i と比べればぎょっとするほど [es] は大きいです.

2.お絵描きのこと

お絵描きのほうは某信者さんご愛用の PocketArtist3で試してみました.PocketArtist できちんと一枚の絵を描くのは今回が初めてです.で,結果は下の絵.

5時間くらいの絵です.ツールが変わった勢いか,ひさびさにキャラっぽい感じですね.

液晶画面が小さいので描きにくいかもしれないと心配していましたが,タッチパネルの精度が高いため特に気になりませんでした.むかしむかし,お絵描きケータイであるところのFOMA F900iTで絵を描いたときは,2.4インチ液晶という小ささよりも,パネルの精度の悪さで難儀しました.参考のため昔の日記を右に引用してみましたが,描ける絵の次元が大きく違うように思います.[es] が2.8インチ液晶であるのでサイズの差はありますしソフトも異なりますが,一番違って感じたのはパネルの精度でした.携帯情報端末で描く絵は,手の動きにさえ従ってくれるならあとはなんとでもなる,というところはあります.

(霧雨魔理沙,WILLCOM WS007SH1,PocketArtist3, 5hours,2006/8/2)

旧W-ZERO3 では絵を描いていると目からビームが出る現象についてここのところずっと話題になってますが,[es] ではいまのところないです.絵の描き方にもよると思いますので,誰がやってもそうかは判んないですが.

らんたろさんのレポートによると,やはりビームが出ることもあるようです.(PocketArtistではありませんが)

精度が良いのであまりズーム機能は使わずに描きました.瞳とか小さい星とかでは2倍にしましたが,あとはだいたい等倍で.

ビームが出るかもと思って色鉛筆風にしゃかしゃかやる昔の描き方をしたんですが,あまり関係なかったみたい.せっかくなので以下,今回の作画手順です.

まずは下描きです.魔女と星.なんか完成版よりこっちのほうがいいですね,というよくある下描きの罠.

主線は青です.いつもは茶色か黒ですが気分を変えてみました.

線画終了.最初は下描きのまま小さい目で描くつもりでしたが,たまには違うことをしようと思ったので路線変更.

あまり深いことは考えてなくて,まずいところは色塗りの段階で誤魔化そうと思ってました.

二枚目のレイヤ(乗算)に着色しました.はみだしとかは気にせず背景から先に塗って,次に腕とか脚のところへ色を上塗りしてゆきます.下絵をこわしちゃうくらいの勢いで,気持ちよく.

ぼけ足のあるブラシは使いません.どうも苦手です.ぼけ足のないブラシでタッチを残すほうが慣れてるし好きな仕上がりになります.

三枚目のレイヤ(乗算)にミルキーウェイ(星)を描いてゆきます.(腰から下のバランスがうさんくさいので,別のものを描いて誤魔化そうとしています.)

四枚目のレイヤ(乗算)をつかって,濃淡を強くします.

五枚目のレイヤ(スクリーン)をつかって,瞳とか,服のはしっこにハイライトを入れます.これで完成!

PCの画面で見ても,とくに困るような色の見え方の違いはなかったので,色修正はしていません.

3.PocketArtist と [es]

PocketArtist はカラーピッカーが小さいので,ピッカー上での色を決めてバケツ塗りするのには向いてないんじゃないかな,と思ったので,今回は意識してキャンバス上で色をつくるようにしました.

基本的な機能についてはよく出来てると思います.しかし,不透明度選択のスライダ(0~100%)を動かそうとすると,タップ&ホールドと認識されてしまってうまく操作できなかったです.[es] だけの問題なのかしら.その他は [es] の画面が小さすぎて操作できない,とかいうことはなかったです.

4.おわりに

[es] で絵を描いた直後に AXIM X50v をさわってみたら,びっくりするほど画面を広く感じました.だけど [es] でも(やはりタッチパネルの精度のためか?)気持ちよく絵を描くことができたと思います.

ともあれ,[es] では絵も描けますってことで.購入したひとはぜひ試してみてねー.

(曽我十郎,2006/8/2)

いつか魔女になる日まで #3

「かふぇ・かぷちの」のねふぁさん主催のPDAお絵かきコンテスト「もば絵こんてすと2006 」へ応募したイラストです。

今回の絵はPDAのニュースサイトで採り上げて頂いたり,こんてすとで準優勝だったりと思い出深いものです.

メイキングをこちらで公開しています.いつも節目ごとにまとめるようにしています.上手くなってるかどうかはあまり判んないですが,変化を追いかけると自分でも面白いですね

シムーン #5-#12

アーエルがおじいちゃん子であるということは出し惜しみ気味で,判ってくるにつれ彼女がシムーン乗りになった理由としてそれはまるでアリカ=ユメミヤであるがごとく「じっちゃが言ってた」とかいかにも言いそうな勢いです.泉に行かなくていいからだという普段アーエルが主張するところの理由は,聞く人へ与える衝撃や理屈の単純さからして飛び道具で,その口からさっと出せる使い勝手をたぶんこの人は気に入ってるのではないかなぁ.

自分がここにいる理由というのは説明できないとどうも具合が悪いものです.好きだから,と答えたらなぜ好きなのか,どう好きなのかを聞き返される始末です.自分のキャリアや趣味についてはそれを選んだ理由についていくつもお話を用意しておくもので,生活のほとんどの時間はそのいずれかのお話の上にいたほうが安心できるように,おそらく人はできています.僕の中から出てきたお話だから全く嘘ということはないと思うけど,いくらか真実らしいものを含んでいるだろうそういう話がないと,僕だけじゃなくいまから進路を決めようとしてる人が聞く分にも安心できなくなるんじゃないかと,就職活動をする人たちのそばにいると思います.修士1年のこの時期に始まって修士2年のこの時期に決まるというわけで,なんだ一年中どこかで就職活動の行われる場というのが大学の研究室で,そのなかで時々,博士課程というのが視野に入ります.博士に進学した人となると修士のころから研究が好きで好きで授業にも真面目に出て云々と思われがちですが,そんな真っ直ぐ行くもんかい! でもまあそれをどうにか,どこかに真実も交じっていてくれるであろう魅力的な人生として仕立て上げて語ってみせることも,僕のやるべきことではないかと思います.真実,とか言っちゃったけど,好きなことを持って好きなことをして生きて自分がそうであることに日々感動する,という姿は理想的な絵としてこの世のどこかにあるよう僕は願います.ただし,日々感動,のあたりは気まずいので誰も居ないところでひとりこっそり感動してください.ううん,やっぱ自分では気付いてないくらいがいいです.

さて,アーエルがシムーン乗りになった理由というのはおじいちゃんとの思い出だけじゃなく,たくさん掘り起こせるんじゃないかと思います.17年生きてりゃいろいろあって,それで今そこにいるわけだから.ただ,泉に行かなくていい,っていう思いつきが強力すぎて,自分でも真に迫っていると思えちゃったのではないかと,そんな風に見えます.

他にもマミーナだとユンやロードレアモンがそこにいるからというのが大事で,生まれ育ちについて語る部分は飛び道具なんじゃないかと.ちなみにアーエルが速射力重視でマミーナのは火力ね.それで飛び道具ばっかりじゃなくぜんぶひっくるめてね,自分がその人生であることの真実のようなものは,どこかに交じっていてくれたらいいなあと思います.

疏水太郎

スプライトの仕様

  • スプライトの作成者,およびスタイルは各ページのsprites.datへ保存.sprites.datはStorableによる以下の%hashのダンプ
    • $hash{‘sprite_id’}{‘style’} = “left: xxx; top: xxx; width: xxx; height: xxx; z-index: xxx;”;
    • $hash{‘sprite_id’}{‘author_id’} = “public” or “admin” or “$userid”;
    • $hash{‘sprite_id’}{‘public_password’} = crypt($password);
      “public” ユーザの場合の削除,編集用パスワード
    • $hash{‘sprite_id’}{‘created_time’} = $time; #ページ作成日
      ($sec, $min, $hour, $mday, $mon, $year, $wday, $yday, $isdst) = localtime(time);
      $time = sprintf(“%04d%02d%02d%02d%02d%02d”, $year+1900, $mon+1, $mday, $hour, $min, $sec);
    • $hash{‘sprite_id’}{‘modified_time’} = $time; #ページ修正日
      ($sec, $min, $hour, $mday, $mon, $year, $wday, $yday, $isdst) = localtime(time);
      $time = sprintf(“%04d%02d%02d%02d%02d%02d”, $year+1900, $mon+1, $mday, $hour, $min, $sec);
  • 要素の中身(innerHTML)は $sprite_id.spr ファイルへ保存

疏水太郎

ロック

lock_nstore, lock_retrieve を使うことにする.flock()の実装されてないシステムだと動かないけど,そこを乗り越えるほど Storable に愛があるわけでもなかった.ver.1.0 まで Storable ベース,以降は SQLite になる予定.

こうしたシステムでは最も辛気臭い箇所であるページ管理,ユーザ管理,ログインまわりが完成してほっとしました.片手間とはいえ一ヶ月かかったか.くやしい.

さて,あとはこれまで作ってきたフロントエンドのページと整合をとるだけです.

疏水太郎

人生ゲームについて思うこと

人生ゲーム盤面カスタマイズ

これだっ! 小さい頃に自分だけのすごろくって作りませんでしたか.通ることの出来る道は限られているのに,4人一緒に遊べばルーレットのため止まるコマがそれぞれ異なったり,お互い邪魔することもあるので,毎回物語の展開が変わります.対話的な物語生成器というのはまずは人生ゲームを作るのが身近なところであって,そのとき守るべきポリシーは次のようなものになるはずです.

  1. 大局的に見てマス目の内容に流れを持たせる.人生ゲームの場合,就職から始まって結婚,そして余生を過ごすまでという大きな流れを持つ.
  2. 局所的に見てマス目の内容が突拍子なくともあまり問題のない題材を選ぶ.人生万事塞翁が馬.恋はいつだって唐突だ.(ときめきメモリアル2人生ゲーム
  3. 人生がループしていても,深くは考えないこと.「台風で吹きとばされスタートにもどる」

ところで,カレンダーというのはたいした発明で,とぎれることのない時間の流れをマス目で区切ることによって,ジャンプしやすいものとしてくれました.カレンダーを見ることなしにある出来事が何ヶ月前のいつの日の出来事だったかなんてうまく思い出せません.逆にいうと,僕らが感じている過去のいつかというのはカレンダーの過去の日付が指すものとは異なっているということかも知れません.ともあれ,明示的なある点へ時間を戻すという考え方は,自分の頭の中だけで考えているよりは,カレンダーを見たり想像したりしながらのほうが発想しやすいものであると思います.そうすると,人生ゲームの罰則の一つであるマス目を戻ること,つまり時間がある特定の点へ巻き戻されるという発想は,カレンダーのような図表の発想を伴った,空間的なものであると言えます.そしてその空間の醍醐味を追求したところに「台風で吹きとばされスタートにもどる」というふざけたマス目はあって,台風で新卒からやり直しってどんなでしょう.しかし,自分のコマをスタート地点まで一気に戻すときのがっかり感ったらなくて,こうしたダイナミックな移動は盤面上で紡がれる物語をとても面白いものとしています.

「虹色町の奇跡」稼働から10年が経とうとしています記念.まぁ,あまり関係ないけど.

疏水太郎

ページのプロパティ ver 0.2

config.dat : ページのプロパティ.Storableによる以下の%hashのダンプ.

  • $hash{‘author_id’} = $userid; #制作者のid
  • $hash{‘page_title’} = $pagetitle; #ページのタイトル(utf-8)
  • $hash{‘sprite_autobr’} = 0 or 1; #自動改行
  • $hash{‘sprite_autolink’} = 0 or 1; #自動リンク
  • $hash{‘sprite_autoimage’} = 0 or 1; #自動添付画像表示
  • $hash{‘sprite_html’} = 0 or 1; #一部HTML利用可能
  • $hash{‘page_width’} = $worldwidth; #ページの幅
  • $hash{‘page_height’} = $worldheight; #ページの高さ
  • $hash{‘page_autosize_x’} = 0 or 1; #ページの自動サイズ変更(右方向)
  • $hash{‘page_autosize_y’} = 0 or 1; #ページの自動サイズ変更(下方向)
  • $hash{‘page_bgcolor’} = “#ffffff”; #ページの背景色
  • $hash{‘footer_bgcolor’} = “#ffffff”; #フッター領域の背景色
  • $hash{‘background_image’} = $imagefilename; #ページの背景画像
  • $hash{‘created_time’} = $time; #ページ作成日
    ($sec, $min, $hour, $mday, $mon, $year, $wday, $yday, $isdst) = localtime(time);
    $time = sprintf(“%04d%02d%02d%02d%02d%02d”, $year+1900, $mon+1, $mday, $hour, $min, $sec);
  • $hash{‘modified_time’} = $time; #最終ページ修正日

permission.cgi : ページのパーミッション.Storableによる以下の%hashのダンプ.

  • $hash{‘read_page’}{‘public’} = 0 or 1; # 閲覧権限
    $hash{‘read_page’}{$userid} = 1;
    $hash{‘read_page_group’}{$usergroupname} = 1;
  • $hash{‘write_plainsprite’}{‘public’} = 0 or 1; # 通常スプライト作成権限
    $hash{‘write_plainsprite’}{$userid} = 1;
    $hash{‘write_plainsprite_group’}{$usergroupname} = 1;

  • $hash{‘write_attachedsprite’}{‘public’} = 0 or 1; # 添付スプライト作成権限
    $hash{‘write_attachedsprite’}{$userid} = 1;
    $hash{‘write_attachedsprite_group’}{$usergroupname} = 1;
  • $hash{‘write_supersprite’}{‘public’} = 0 or 1; # スーパースプライト作成権限
    $hash{‘write_supersprite’}{$userid} = 1;
    $hash{‘write_supersprite_group’}{$usergroupname} = 1;
  • $hash{‘create_page’}{‘public’} = 0 or 1; # 新規ページ作成権限
    $hash{‘create_page’}{$userid} = 1;
    $hash{‘create_page_group’}{$usergroupname} = 1;

参照: ページ・ユーザ・権限

疏水太郎

ビデオゲームについて思うこと

ビデオゲームの未来についてよく想像することがあって,それは一体いつまで人がこの平面芸術にかかずらうことになるのかな,ということです.絵や写真や映画でもそうなんですが,特別なデザインがなされない場合,額縁やディスプレイで切り出された平面の世界は僕の動きに対して日常とは異なる連動をします.ふだん実世界のものは僕がいろんな方向から見ようとするとその動作に連動して立体的に見えが変化します.一方,ディスプレイ上の世界のものはディスプレイの側の立体的な見えの変化に伴う写像として,回転や拡大縮小,シアーといった2次元的な座標変換を受けた姿を見せることになります(それをメタにアニメ表現するとD4プリンセスとかまじぽかのエンディング映像になります).人がゲームをするという身体運動とともにどのような視覚世界がそこにあるのか,というのを調べてゆくことは相当手間のかかる仕事で,実験室では状況が限定されますが,僕ら実際は恐ろしく雑多なプレイスタイルを持っていて,ディスプレイの大きさ,僕とディスプレイの距離,寝転んでいるか起きてるか床か椅子かといった見る角度,携帯ゲームも含めれば手で持つ角度と距離が異なってきます.家庭用ゲーム機のコントローラーとアーケードのコンパネとニンテンドーDSと携帯電話各機種の操作系は明らかに異なっています.表示デバイスによって明るさや色合いも異なります.主にガンマ値の差について,多様なデバイスを使い分けているPDA絵描きの間では,デバイスごとに自分の絵が全く異なって見えることについていつも怨嗟の声が上がっています.そして,どのようにプレイ中は体を動かすのか,おそらくはまるで違う.そんな話をこれまでも何度か書き散らしてきました.ことはゲームに限った話ではないだろうと映画に詳しい友人に尋ねてみたところ,映画館の大型スクリーンでは画面のまんなかが注目されるけれど,ビデオでは画面の端まで目を配ることが簡単なので,映像の細かい仕込みにも注目できる,という答えが返ってきて,なるほど,そういうことはありそうだと僕も思いました.ただしビデオに関しては巻き戻しが可能になったことも大きいと思われます.

たとえば First Person Shooting (FPS) を一人称たらしめてるのは,いまのところ小説が僕や私といった一人称表現を用いるのに似た,一人称的な視野の絵が表示されているという観念的な理由であると思われます.素朴にFPSっていう言葉を聞くと,プレイヤーは半透過型HMDをつけることにして,実世界に敵のCGを重ね合わせて,僕ら走り回りながら撃ち倒してゆく図を想像するのだけど,どうでしょう.ジリオン銃でももちろんいいよ.今のFPSにおける一人称っていうのは絵によって強化された一人称小説くらいの意味しか持たないです.それでようやく初めの話に戻りたいのですが,僕らの身体運動からは日常的な意味合いでは切り離されてると言える,いわば観念的な平面の芸術について,僕らはいつまで付き合うことになるのか,あるいは付き合うことができるのか.ここはうまく根拠を示すことができないのですが,アーケードゲームにおいても学術的にはヒューマン・コンピューター・インタラクション(HCI)分野で発表されてきたような考え方が数歩遅れで導入されて,ガンシューティングにおける身体のセンシングや,カードやタッチパネルを用いたゲームの操作法などが,研究云々を引き合いに出すのがあほらしいほど当たり前になってきて,そうするとHCI研究者がこぞってバーチャルを捨てて実世界とヴァーチャルの境界面へ駆け出してる(ように僕には見える)昨今,これからはゲームにも相当,センシングとアクチュエーターに代表される実世界的インタラクションの要素が入ってゆくのではないかなぁ,と思いました.EyeToyであるとか剣神ドラゴンクエストだなんて,コンシューマー向けでもここまで出来るのかって,僕はあごが落ちました.ファミリートレーナーや家庭用DDRマットからは一世代違うセンスです.いやセンシングか.

僕らの運動と視覚が普段の生活どおりに連動するような世界がビデオゲームに訪れるとき,それは今までとは別の視覚世界を提供するという意味においてもうビデオゲームではない別のゲームであると思われます.それが実現する日はまだ遠いだろうけれど,たとえばEyeToyにせよ剣神にせよあれはプレイヤーとセンサとの位置や距離を制限する必要があって,身体の運動を持ち込むことによる連動感というのは実は緻密な位置合わせによるものであることから,それは連動感という心地よさから想像されるものとは反対の,つまりプレイスタイルに枠をはめるものであるということになります.寝転んで剣神ドラゴンクエストをするのは寝転んでギャルゲーをするよりはやりにくそうです.そもそもセンサがうまく反応してくれないような気がします.もちろん,枠があるから面白いということもよく言われます.そして,日常どおりに運動と視覚が連動することを自由と呼んでいいならば,こうした枠をはめ続けた先に,いつかまた別の自由が待っているということになります.

もう少し研究の話をすると,ビデオゲームといえば視覚的な表現に注目されるところだと思うのですが,僕はビデオゲームにおける視覚的表現の話には深入りしたくないと思います.視覚的表現,といってもアドベンチャーゲームにおける立ち絵表現のような話はアニメーション表現の研究へ譲ったほうが筋が良いと思います.それでアクションゲームにおいて,もう少し細かく言うならFPSであるとかレーシングゲームであるとかFPSではないシューティングゲームなども含めて,プレイヤーの操作を反映して視覚的表現が変化する,というのはビデオゲームらしい特徴の一つだと思うのですが,ただの表現ならまだしもプレイヤーとのインタラクションを抜きに考えられそうもないことについて,上ではプレイスタイルと呼びましたが,その多様でありかつ技術の進歩に沿ってすぐ変化してしまうところは時間のかかる分析的な科学研究をするとすれば相当難しいということになります.こうしたビデオゲームにおけるインタラクティブな視覚体験について,分析的な意味での本質を科学実験によって取り出して,学術の世界に積み上げてゆくという手法をとるとすれば,の話.そこで僕はこうしたインタラクティブな視覚の世界について興味を持ってはいるのですが,一方でゲームに実世界的インタラクションが導入されることについて前倒しで評価しているので,それとの比較において特殊であってもしかしたら消えてゆくかもしれないとすら想像している平面芸術に関するそれにはコストをかける気持ちになれないでいます.もっと制約条件をつけていいなら,僕らのプレイスタイルとかいう生態学的な要素ははずして,実験室環境で生理的な反応を分析するということはできるでしょうし,こちらのシンポジウムの発表者にもそういう方がおられるように見受けます(この日は東京にいるけどちょうど他の用件の時間帯と重なってるので参加できません).児童心理学や教育学について僕はまともなコメントが難しいのだけど,定性的な知見について面白いものが出てくるのではないかと期待します.

生態学的な話はいつでも面白いと感じます.文化人類学ではなく生態学と呼びたい気持ちは僕がギャルゲーの彼ら彼女らと対峙するときにあって,僕の部屋にある小物や本など,つまりグッズとか同人誌というやつを巻き込んだ彼ら彼女らの生態と僕の生態,そこに人類という区分があまりそぐわないような気がしてこういうのですが,その一緒に過ごしてゆく暮らしぶりの変化というやつを,ゲームをする姿や態度のことも含めて長い目で見つめてゆく,というのが研究者としての僕なりのゲームとの接点ではないかなと思います.ビデオゲームに限らずおそらくは今後生まれてくるだろう彼ら彼女らをひとまとめに含めた,それ.

ともよちゃんさんの「モニターを介した体験」あたりについての僕が考えてること.コメントというか例によって僕の話ばっかりでごめんだけど.

疏水太郎

スタンダードな青春

高校生の毎日というのはほっといてもいろいろあるもので,そうであることをスタンダードな青春とひとくくりにして呼ぶことはできると思うけれど,そのとき当事者としては毎日の雑多なあれやこれやにいちいち追われているわけで,それらをひとつにまとめられてはたまったものではないです.そうであったとしても,僕がスタンダードな青春という言葉を使うときの事情というのは,彼ら彼女らと同じようにものを見ようというのは年寄りの冷や水であるので,ちょっと距離をおいて関係することしかできない,そこで年をとると悪いところばかり子供に戻りまして好かれたい人にイジワルするというあれでしょうか,かまって欲しくて,それはスタンダードな青春だ,なんて言い方をしてしまうのね.おとなしく黙ってりゃいいのに.

宇宙人,未来人,超能力者や世界の改変,あるいは思惟生命でもいいんですが,そういう超常的な要素を抜きにしてどうやっておはなしを納得してゆくことができるのか,というのが sense off 以来の僕の楽しみとなっています.例えば宇宙人だということもある人の魅力のひとつなんでしょうけれど,そういうぎらぎらしたところの探求はハルヒのような若い人に任せて,だけど,じつは宇宙人でないと考えたとき,宇宙人を信じてない人として見たときにも,その普通の中学生や高校生としての活動を,自分自身のそれから時を経て歳が離れてから見るときにようやく愛しさを感じるものとして,興味深く掘り起こしてゆくことが出来るものと思われるのです.

アニメは見てないんですが,たまたまさっき谷川流へのインタビューを読んだので,某所へのご参考までに一部引用.

ーーー「サムデイ イン ザ レイン」をご覧になっての感想は?
谷川 この話では,小説の完全1人称視点を崩し,部分的に3人称視点にして脚本を書きましたが,実際に見ると「なんてスタンダードな青春をしているんだろう」と思いました.
(メガミマガジン 2006/8)

谷川流がどういうつもりでスタンダードな青春という言葉を使ったのかは判らないし,元のアニメも知らないのだけど,たまには3人称の冷や水な気分になったのかもしれないです.

疏水太郎