とある魔術の禁書目録(鎌池和馬)

若い善男善女の愛に満ちたお話.アガペー.

彼ら彼女らがひとりの女子を助けるにあたって,そこに恋愛とは別の真っ直ぐさの認められる点がたいへん好みです.特に主人公の人は清々しくて良い男子生徒でした.

恋愛とは別のといっても,そこに自分とは別個の肉体があることは常に意識されていて,これまで彼女のどこに触れたかを回想したり,また彼女の口の中を触ったときの描写に至っては変態的ですらあるかもしれないのですが,それでも恋愛とは直接に繋がりそうもなくて,他人の切り傷とか体の内側とかが素朴に不気味であるといったようで.そうしたフィクションの中高生の諸相と出会うのが好きだわ.

また,あらかじめ提出された情報に沿って話がめくるめく返ってゆく展開は丁寧で,上で述べたような印象を支えてくれます.とても読みやすかったよ.

疏水太郎

ええじゃないか

父と伊勢まで小旅行をしてきたそうである.

伊勢神宮へ参拝したときのことはあまり覚えていない.五十鈴川に架かる橋を渡った.袋買いした生姜糖をね,たらふくかじった.それくらい.

母からの手紙には今回も雨で引き返したとあったから,あのときも雨だったのだろう.

ペンションを説明するのに(民宿の姉様位)とあった.僕ならば民宿に毛が生えた程度と書くところである,あねさま,とはなるほど,上品でユーモラスな言い様があったもの.

手紙が届く度,世界が良き修辞で溢れますようにと思う.

疏水太郎

テレスコープ

望遠鏡から見える世界に関する誤解はおそらく星座のグラビアが原因なのだと思います.小さいころ,百科事典のなかの綺麗な星空を見たくて望遠鏡をねだったけれど,空を覗いてはじめて望遠鏡は星座を見るためにあるんじゃないことを知ったのでした.だいいちくすんだ空はいくら望遠鏡でも晴れやしない.本当に美しい星座の空はこの足この目で見つけるしかなくって,それがきっと大学時代に学んだ一番のことです.

十年後の僕に向けて約束したら,叶ったのか,それは.

(Sleepin’ JohnnyFish)

疏水太郎

誰かが街のどこかで

T.T君と劇場版Zその2を見に行ってきました.トミノさんやっぱりちゅーの嵐.素敵だ.カミーユとサラのちゅーが追加されてないのはたいへん残念でしたが,無理か.ともかくフォン・ブラウン市の一日を劇場で見ることが出来て満足です.あの日のサラの私服って初デートのときの服みたいでね,新鮮でありながらもちょっぴり服に着られてるのだわ.また,それに加えまして池脇千鶴が凛々しくかつ可愛いかったと思います.

T.T君ともども最後に登場したアクシズ側MSの名を忘れてしまって頭を抱える.ガザCでした.・・・あらやだメカと女の子の話ばかりで恥ずかしい.

帰りしにアイドルマスターのあるゲームセンターへ連れてってもらいました.写真ではどうかと思ってましたけど,しかしやはり人の可愛らしさというのは相当,目的とかやりとりとかリズムといった文脈のなかにあるのですね.ポリゴンとタッチパネルでギャルゲーはこんなにも楽しくなります.さすがはゆめりあ,そしてダンシングアイのナムコだわ.

疏水太郎

あるいは,ボッコちゃん再び

一般に一人称視点が採られる場合には,メディアという拙いものこそがいつも雄弁に語り返してくるという逃れがたい錯覚があると思われます.いくぶん知的に見えるところのコンピュータ上のコンテンツにおいてそれが強化されているということは充分にあり得るし,そこに在るのが可愛い女の子だとしたらなおさらだって思うよ.

上記の錯覚について,「メディア」のところはもちろん「人間」と置き換えてもオッケーです.

疏水太郎

僕が恋愛とキャラクターをそこに見るとき.

お話の後ろのほうになってから過去の事情を持ち出すのは気をもたせたりびっくりさせたりするためのよくあるケレンです.しかし,舞と真琴に関して言うならば,彼女ら自身や第三者が事情を語り始めるのではなく,彼女らの事情に対してもっとも驚くであろう祐一が語る形を取るところに大きな転倒があります.それは彼女らの奥ゆかしさであるとか,驚くべき役目は読み手のほうに投げ渡しているのだとしてみてもよいかもしれないですが,恋愛する気持ちをあの場に持ち込みたい僕としてはむしろ祐一の女の子に対する過剰なまでの踏み込みがこの転倒した語り口に現れ出ていると思いました.また,夜の学校の不思議なひとときや耳から突き抜けてくるイメージの世界,訳もなく叩かれたり倒れ伏したり唐突なばかりの少女との関わりというのは,恋愛を思い起こすのに相応しい状況であったとも思います.

不思議さ,美しさ,唐突さ,苦しみ,それに対して熱く語り返す祐一はひどく恋愛に巻き込まれている.少なくとも女の子の過去の事情についての真実性に焦点は置かれない,つまり真実性は本人ではなく祐一が語り手となることによって留保され,しかしその留保によってこそ祐一の感情が強く語られ,少女もその気持ちに応えてゆくというラブストーリーが成り立っています.

一方,僕があえて真実性に注目することによって,語られた後の話や語られた内容そのものへ深入りしたいと思うこと,例えば天野の過去や真琴が帰ってきた後のことについて詮索したくなるのもまた,彼ら彼女らと関係し続けたいという切実な欲望としてあります.だからそんなお話を読んだり,作ったりする.

それらはもしも,あるコンテンツにおいて男の子と女の子とが出会ってしまったならばのことで,そして僕がそれを望んでいたならば.

そのとき僕は彼ら彼女らの一挙一動から恋愛を示唆する要素を見つけ出したいと助平に願うし,彼ら彼女らと関わりたいがばかりにその事情を下品に詮索しもする.そうしたあまり美しいとも言えず時に矛盾した結果をもたらす感情たちは,僕が彼ら彼女らの暮らしぶりの中に巻き込まれ,混乱していたことを証拠立てるものとして,いつも後になってから思い出されます.

余談ですが,明鏡国語辞典によると外連(ケレン)は懸恋とも当て字するそうです.それは祐一と舞との物語展開をぴったり一言で書き表しているように思います.

疏水太郎

重戦機エルガイム #46

トミノさんって昔からラブをたくさん描いてきたんですね.

ダバ君とファンネリアが耳を噛み合うの見て,素敵だと思いました.昔の作品知らなかったからそういうのブレンパワード以降だとばかり.今後とも期待してます.

とかなんとか,青い感想を書くのは10代諸氏に任せるべきなのだろうけど,溢れ出てしまいました.トミノさんと高河ゆんは10代にこそ届け,とオッチャンは空想する.

疏水太郎