fluorit #6

こうして、キノは彼の星を追いかけて、世界を駆けめぐることになったのだといいます。

彼の星というのは、かの”希望”の星のことなのか、それとも・・・。

色々と想像できるでしょうが、私にこの話を聞かせてくれた旅の興行師は、その答えを教えてはくれませんでした。

けれども私は、いつかそう遠くない未来、真白い蛍星をのせた翼が、夜の地平の果てを目指して飛ぶ姿を見ることができると信じています。そして、そうすることで、人は星いっぱいの夜空を取り戻すことが出来るのではないかとも思うのです。

fluorit #5

fluorit #5

「希望の星を見つけたあとはどうするの、」

「うん、あ、考えてなかった。そうだね、じゃあ、その星と一緒にまた旅に出るよ。なんてったって、こっちには”希望”がついているんだから、川の果てどころか世界の果てまでだって行けるさ。」

キノが軽くウインクすると、二人は大きな声をあげていっしょに笑い出しました。

「キノみたいな人がもっとたくさんいたら、星はなくならなかったかも知れないわ。」

そういってホタルはキノにほほえみかけようとしました。でも、それはなぜだか瞳からあふれそうになる涙のせいで、形をなすことはできませんでした。続けて何かをいおうともしましたが、それも声にはなりませんでした。

「えっ、どうしたの、いま何ていったの、」

キノの心配する声も耳に入らないかのように、ホタルはそのままうつむいて体全体を小さくふるわせていました。キノは突然のことに途方にくれて、考えつく限りのなぐさめの言葉をかけましたが、それが無駄と分かると、ただ優しく肩を抱いて彼女を見ていてあげるのがいいように思いました。そうしてしばらくすると、ホタルはようやく落ちついたようで、小さくうなずくと、何かを決心した目でキノをじっと見つめ返します。

「ううん、なんでもないの。それより、ねぇ、ひとつ約束をしてもらえないかしら、」

「えっ、あ・・・うん。」

「あなたの中にある、星との『絆』を忘れないでいて。それだけ。」

「・・・うん、約束する。」

そういい切ったキノの顔は、それまでのような子供らしい無邪気さをふくんだものでなく、こんなとき、この少年はとても頼りがいのある感じに見えるのでした。すると、一呼吸をおいて、ホタルのまわりにはあの光の帯があらわれます。また潤みはじめた彼女の瞳が、抗しがたい気持ちを無理矢理制する頑固さにゆれているように見えて、キノはなんだか不安な気持ちでいっぱいになりました。そして、さっき胸がどきっとしたのは、けしておじいさんのことを思い出したためだけではなかったことに、ようやく気がついたのでした。窓の板はいつの間にかどこかへ消え、ホタルの体は次第にその輝きを増してゆきます。今度は何か強い思いがキノの胸にあふれてきましたが、それは言葉にならないまま、両の目を真白い光が撃ちました。

「ありがとう、キノ。あなたに会えてほんとうに良かった。あたしは、もう行かなくちゃならないけれど、キノのこと、絶対に忘れないから。」

彼女の突然の告白がさっきの不安を裏付けたので、キノはとても驚きましたが、いまやするべきことはただ一つでした。

「ホタル、」

キノはそう叫ぶと、鋭く突き刺さるまぶしさにも負けず、光の中心にあるはずの星、彼女の体を強く抱きしめようとしました。

「さようなら、」

けれども、その短い言葉を最後に、ぱっ、と光は弾け、窓から強い風が吹き込みました。小さな炉の火は消えて、キノは薄暗がりの部屋の中で一人、ずっと空を抱き続けたのでした。

fluorit #4

fluorit #4

ホタルはこれまでにいろんな街をめぐってきました。ある街では、ひどくこわれた天体望遠鏡が裏の路地に打ち捨てられていました。ある街では、騙りとなじられた占星術師が、やくざものの錬金術師にその職を変えていました。昔、多くの人がその目に見ていた星たちは、単なるまやかしだったのでしょうか。

ようやく窓に板をたてた部屋は、少し暖かさを感じられるようになってきました。風の吹き込まないことよりも何よりも、ホタルの放つ光のキラキラとまたたく様が、なぜだかキノの心を温かくしました。ホタルの旅の話にキノは聞き入ります。そして、彼はいちいちおおげさな身ぶりで、相づちを打ったり、彼女と一緒に悲しい顔をしたりするのでした。

「でも、この街に来て良かった。今でも星のことを思い続けてくれる人に会えたから。」

ホタルはキノの目をじっと見ます。すると、キノは恥ずかしそうに笑って、少し目をそらしました。

「じつはね、川の果てにある未来の星っていう話は、もともと僕のおじいさんがいってたことなんだよ。」

「なぁんだ。感心して損をしたかしら。」

キノはもう一度恥ずかしそうに笑うと、おじいさんの話を続けました。おじいさんの聞かせてくれた、風の生まれる場所や雲の帰るところについてのうわさ話、水の音や鉱石の色についての伝説、そして星の記憶。それは、人々の心の片隅にある思い出のかけらと、そこから紡ぎだされる物語の中に輝く、小さな星の確かな記憶。

そして、そんなおはなしの終わりにはいつも、おじいさんはこうつけ加えるのを忘れませんでした。

『望遠鏡のレンズで切り取るのは星たちの世界、水槽越しに見るのは魚たちの世界、色眼鏡で見るのは人たちの世界。いつも人間はガラスの小窓から世界を眺めているんだってことを、忘れちゃあいけないよ。でも、ただ夜空を見上げれば満天の星を眺めることが出来るように、窓からガラスをはずすことは簡単に出来るんだ。そのことも忘れちゃあいけないんだよ。』

fluorit #3

fluorit #3

「これは、なんの絵かしら、」

ホタルは机の上の書きかけの図面を指していいました。丸や四角の線、そしてそのそれぞれには小さな数字が添えられています。

「僕の飛行機の設計図。これで星を探しに行くんだ。」

「星、」

「うん、僕の”希望”の星。昔、南の空には川のように続く星の列があったのを覚えているかい。えーと、」

キノは、一冊のノートを開きます。それはキノがおじいさんからもらったノートで、紺や栗色の細い線が見事な星の地図をえがきだしていました。ホタルはキノの指さすところを、ぐっとのぞきこみます。

「ええ、知っているわ。神話の時代、この地方を流れていた大河の名をもつ星座。」

「その列の最後にはひときわ明るい星があったよね。昔の言葉で『川の果て』という名前の星。川が時間の流れをあらわしているとしたら、川の果ては未来。未来にはあんなに明るい星があるんだ、って僕はあの星にはげまされてきたんだ。」

「ふうん、星は未来の輝き、」

そういって、彼女は感心したようにうなずきましたが、すぐに表情を暗くしてこう続けました。

「でも、もう、星はなくなってしまった。」

ホタルは窓の外をながめます。もちろん、外に星はひとつも見えません。灰色の雲の向こうにぼやけて見える月の光と、彼女の体の淡い光とが、悲しげなその顔をうすく照らしだしました。キノは、その光景に胸がどきっ、とするものを感じました。彼のおじいさんが、星のことなどすっかり忘れてしまった大人たちと出会うたび見せた表情と、彼女の表情はまるで同じだったからです。夜空を切り取る窓の枠と、その中に浮かびあがるホタルの姿を見ているうちに、キノはふと、おじいさんが口ぐせのようにいっていたことを思い出しました。そして、

「そう、だから僕はあの星を探しにゆくのさ。これはそのための飛行機なんだ。”希望”があれば、きっと他の星も戻ってくるだろう?」

そういって、にっこりと笑いました。

fluorit #2

fluorit #2

少年はあたりがまぶしい光に包まれていることに気づいて目が覚めました。鐘楼の首のあたりにあるその小部屋には、月の光くらいしかまともな明かりはありませんでしたが、それにしては光が強すぎます。

「ごめんなさい、人がいるとは思わなかったの。ここですこし休ませてもらえないかしら。」

光のぬしは一人の少女でした。少女は光の帯だけを身にまとい、窓枠に腰かけていました。彼女自身もうっすらと光を放っています。こんな少女に突然話しかけられたものですから、少年はすっかり気が動転してしまいました。

「・・・えっ、あ、うん、」

そう答えながら、くしゅん、と小さくくしゃみ。彼の住むこの部屋は少し高いところにありましたから、春先とはいえ、夜に冷たい風が吹き込みます。窓はずいぶん昔、竜巻に飛ばされてしまったそうで、今は窓枠だけしかありません。それで、風を防ぐためにいつもは大きな板を立てかけているのですが、どうやら今晩は忘れてしまったようです。少年は小さな机で図面を引いていて、そのまま今まで眠りこんでいたのでした。

「あたしはフルォリット。ホタルって呼ぶ人もいるわ。」

「ぼくは、キノ。君はどこから来たの、それに、」

それはもう、キノにとって当然の質問でした。ホタルという少女はどうしてこんな真夜中にここへ来たのか、そして、もっと重要だったのは彼女が白くまぶしい光をまとっているということでしたが、それはなんと聞いてよいものか分からなかったので、そのまま口ごもってしまったのでした。

「ちょっと寄り道をしていたところ。ほんとは旅の途中なの。失われた絆を探す、長い長い旅の途中。」

ホタルのいうことは半分も分かりませんでしたが、それはそういうものとしてキノは全部置いておくことにしました。そう、キノは今になってようやく、いちばん大切なことを思い出したのです。

「あっ、そんなんじゃ寒いよ。はやく中に入って。うすいけれど、ここに毛布があるから。」

「ありがとう、それじゃあ。」

ホタルはふわりと笑うと、窓からそっと降りてキノの渡した毛布を体に巻きつけました。すると透きとおった光の帯は、ぶるっとふるえるように毛布と交差して消えてしまいます。その間にキノは小さな炉の火を強くしました。

fluorit #1

ある晩のこと、夜空を飾る幾千の星たちが、いっせいに姿を消してしまいました。

人々は驚いて、なにか怖いことのあるしるしではないかと恐れもしましたが、しばらくして何も起こらないということが分かると、たいして問題に思わなくなりました。方位を知るには磁石がありましたし、夜も月と街灯があれば十分に明るいですからね。

ただ、消えた星たちがどこへ行ってしまったのかと、人々はうわさしあいました。ある者は、星は全て海の底に落ちてしまったのだといいました。ときどき海面近くに映る淡い光の群の正体は、その星たちの影だというのです。またある者は、星は夜行性のけものたちに飲みこまれてしまったのだといいました。それで彼らの眼は夜にいっそう輝いているというのです。

それから10年ばかりが過ぎた今、そんなうわささえも聞かれなくなって、ほとんどの人は星のことなど忘れてしまったように思います。けれども、この前の春宵祭の晩に、私は星たちの消息を伝えるこんな話を耳にしました。