TH2 #4

これはすごい.

わけのわからないことを言う人がなるべく意味の取れる範囲において周りの人から愛されてる様子っていうのは良いよね.

それは言葉なしに解り合えるのではなく言葉を媒介として,しかし言葉通りではなく,だけど深読みによって辿り着ける場所でもない.おそらくは赤ん坊の声を理解するほど素朴ではないにしても,相手の文脈と発話の有る無し程度から導かれるような対応を人は優しく適切に行えることがあるのだろうと思います.

疏水太郎

自由

わぉ,三年ほど京都で好き放題できるっぽいです.今よりも.

この歳でたいした義務のない立場ってのは悪いところもあるけど,僕には向いてると思う.

あれやこれや,楽しげな寄り道計画が湧いてくる.

旅費についていちいちお伺いを立てる必要のないのが何よりいい.センチの主人公だって旅費に首根っこを掴まれていたのである.

僕は女の子に会いにゆくわけじゃないけれど.

疏水太郎

名が喚起するもの

還暦のお祝い何もできんでごめんね,と言ったら,まだわたし還暦やっておもてへんねんで,とニコリ.先日,高校の同窓会があって,還暦になる代が幹事であるため参加してきたそうです.○○さんはまだ仕事もしていて若いなぁと周りから言われたということで,ここで○○というのは無論,母の旧姓であって,そんな風に言われると僕としてもはっとさせられて,旧姓の言霊には女性の若さが宿ってるものなのだなと思いました.

疏水太郎

異世界の法則

ちょっと前に京都駅でシャガールのぐにゃぐにゃとした絵をたくさん見てきました.僕は子供の好きそうなおにんぎょさんみたいな絵を描きたいと思っているので,シャガールの描く根菜みたいにぐにゃっと長い人のからだ,つまり幼いころ大人から強要された野菜の,妙に長かったり曲がっていたり色合いが変だったりするものがたくさん並んでいる様子は美しいと思えないはずなんだけど,これだけ一同に会しているのを見ると僕の美的感覚のほうが間違ってるんじゃないかと錯覚させられました.

美術館の価値っていうのは,ある規則に従った陳列によって来場者の美的感覚を狂わす点にあるのだと思いました.

疏水太郎

ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド #20

特別ゲストを迎えての夏休み劇場版でした.ペギー船長が素敵.

ナギーニョみたいな人が出てくると安心できます.人が,というよりもむしろ,あの人があの世界において一定の層に対して普通に人気があるという状況の示されていることがよいです.それは多分,ふたごたちのまだ知らない世界がそこにあるってことで.

疏水太郎

はずかしい話

水姫のことを待ってた夜,ふと空を見上げると星がつーって流れていた.人工衛星だ,と思って追いかけてると,そのうちあたりの星がぜんぶゆっくりと流れはじめた.

人工衛星と流れ星との違いはあきらかで,すぐに消えちゃうのが流れ星,ゆっくり流れてゆくのが人工衛星.だけど僕はときどきだまされることがあって,風のある日,夜空の雲がぜんたい流れてゆくと,星のほうが流れてるものと錯覚するのです.

星が綺麗で風の強い夜にはぜひともご覧なさいよ.

ARIA #3.いい人と出会えてよかったねぇ.なんか嬉しいわ.こんな印象的な出会いもあれば,どこでどう友達になったか判んない人もいるよね.中学高校のころの僕は今よりも自分からゆく人じゃなかったので,いつの間にか誰かが一緒にいたということのほうが多くて,いったいどんな風にして声を掛けてくれたのかよく覚えていない.かみちゅ #1 を見たとき,三枝祀がささいな言葉を聞きつけてゆりえ達のところへ椅子を持ってくるみたいな,多分そういうことが僕にもたくさんあったのだろうと思いました.かわいいっていうのはいちいちそんなあったかもしれない記憶に触れてくるところです.

疏水太郎

ないしょ

話題の人のすぐそばで内緒話してるのを見ると,くすぐったいです.特に恋の話とか.

内緒話をする側とされる側との隔たりは物理的なものでなく認知的なもので,つまり,聞こえないことになっていたり,聞こうとしてなかったりするもので.それを当事者でない僕が外から見てると,その近さと遠さの交ざり合う様子に胸のなかをくるくるかき回されるのです.人はなぜわざわざ聞こえそうな近くで内緒話をやっちゃうのでしょうね.

具体的な話をするとはっぴぃセブン#2の最後でして.ちっちゃい囲いのなか飛び込んで,みんな仲良く内緒話ってのがいいでしょ.内緒話なのにお菊さん盛り上がりすぎだ.

ここのサークル,高三連中が仕切ってるあたり健康的で良いです.より年上のお姉さんたちも一緒に囲いのなか飛び込んでるのが面白いでしょ.あとはエンディングアニメの並びでどの子とどの子がつるんでるかよく判ったり,ときどきたわいない芸をしてくれるのも好み.仮装行列ってこんな感じだよね.とか話し始めると尽きない.

僕は些細なとこばかり愛しますけど,もっと普通に褒めようがあるだろうとは思います.

疏水太郎

W(ワンダースリー)3

ボッコちゃん繋がりで読みました.

といいつつもボッコ隊長だから星真一くんだってのに気付いたのは全巻読み終えた後でした.にぶちーん.

ちなみに「ボッコちゃん」(星新一)が1958年掲載,「W3」(手塚治虫)が1965年連載開始となっております.結構間あいてるけど手塚治虫もやはりボッコちゃんというロボっ娘のことが相当お気に入りだったのでしょう.

疏水太郎

Love Song

まるごと麻枝准作詞作曲のぜいたくなアルバムでした.CLANNAD のときにはそう思わなかったのだけど,eufonius って麻枝准と相性いいですね.好き.

ノエインも eufonius のオープニング聴いてるとアイスが溶けます.

疏水太郎

セクシーボイス アンド ロボ #1 (黒田硫黄)

セクシーな男たち満載漫画でした.僕もおじいさんの愛人になりたいし,相模武夫は恰好よくて素直だと思います.もちろんロボは最高にセクシー.

女の子が主人公であるとき,彼女らは僕の前,斜め45度くらいの場所に立っているように感じられます.そこで女の子が魅力的であるほどに僕の視線は女の子の視線を経由して,その瞳に映る男の子の評価が理屈を問わず共有されます.例えば,僕がブライト王子のことを一目見たときから素敵だと思っていたのは,彼の立ち振る舞いのためではなく,レインがそう思っていたからというだけで充分でした.

しかし,サーカスの少女の顔を見た瞬間だけはやはり,僕も男の子の視点に立たざるを得ませんでした.あのコマは本巻において相当異質です.

男たちがセクシーである一方,ニコは声ばかりがセクシーで,自らセクシーボイスだなんて言う奴は14歳であるに違いないわけですが,セクシーな男たちと声だけセクシーな女の子が行動を共にするときの,その落差を埋めているように見えるものこそが今の彼女の魅力なのだと思われます.

疏水太郎

ボッコちゃん (星新一)

「ボッコちゃん」というのは「ロボっ娘ちゃん」をつづめたものだったのだろうなぁと今さら思い至りました.

幸せって,例えばクリスマスのプラスチック管からお酒を回収する日々.

それは豊饒のうつわ.

疏水太郎

犬神家の一族(1976)

高峰三枝子のことをお母さんって呼びたいと思ったものですよ.

公開時,僕はちょうど一歳だ.

漂流教室のお母さんと同じくらい好き.

疏水太郎

トップ2 #4

直球ロボっ娘漫画に大変ときめきます.

継ぎ目とか想像するにつけ.あと丁寧語とか,宇宙とか.

疏水太郎

ToHeart2 #2(その2)

今でこそ順調に中年体型への道を歩んでいますが,10代から20代にかけては体が悪かったせいもあってかどんなに食べても太らない体質でしたので,少しでも太ると嬉しかったものでした.

話が繋がらなかったのでうっかり書き落としていたのですが,水淵季里のように体重の増えたことを素直に喜べる成長期の女の子はなかなか見かけないものですので,同じような子と予期せぬ場所で出会ったことに驚いたり,懐かしかったり嬉しかったりしました.

疏水太郎

ToHeart2 #2

普段は僕らのこといじってくる某先生が年長の先生たちとの飲み会ではいじられ役になっていたとその場に同席していた人から伝え聞いて,意外であったり可愛らしく思ったりしたのでした.長幼の振る舞いは定まらず,いつも他との関係において在るという話のひとつ.

今にして思えば僕が僕の姉を妹みたいに思ったことのないのが不思議です.小さい頃はよく僕と姉と姉より一つ上のお隣のお姉さんと遊んだもので,きっと上のお姉さんの前では僕の姉は妹らしい振る舞いも見せていたのではないかと思うのです.小さい頃はものごとを遠くから見ることが難しかったのかもしれないし,あるいは,妹でなく姉であって欲しかったという僕の望みのために,姉が妹となるその瞬間は見過ごされてきたのかもしれません.

ともあれ兄弟あるいは兄弟のような人たちの振る舞いがたいへん可笑しい話でした.まずは第一話の次にこの話を持ってくるところが良くて,第一話でこのみの頼りになるお兄ちゃんだった貴明は,魂の姉である環の前では子供じみた行動をとってしまいます.おっかない姉の前から走って逃げるってあんたら何歳やねん.だけどそれでこのみが貴明を見損なうということはなくて,それぞれがそれぞれにとって都合のいい役割が守られ続けています.

背丈のあり方にも不思議な錯覚があります.小さい頃は環のほうが貴明よりも高いですが,今では貴明のほうが高くなってます.にもかかわらず環が昔と同じ風に抱きついてくるのもだから貴明は猫背にならざるを得ないのです.はじめは今でも環のほうが背が高いのかと思っていました.だから子亀親亀孫亀の順で畳に重なった彼らがアンバランスで面白かった.

昔のままの子供みたいなことをやってしまう彼らが楽しそうです.貴明だけでなく環も冒頭の女子高でのやりとりに比べるとずいぶんやんちゃです.それが多分大きなきっかけで,彼女がやんちゃでなかったら貴明も態度を変えていたでしょう.七年前に別れたきりの女の子と目の前の女の子が同じだなんて判るわけがなくて,貴明は雄二に言われるまで環本人だと気付きませんでした.その一方で,このみがひと目で環だと判った理由としては,子供に返って貴明に抱きついていた姿を見たからでしょう.人がある人のことを瞬間的に特定する手がかりは九割がた顔じゃなくて文脈です.街で見かけた学校の知人は本人かどうか自信なくて,声を掛けづらいもので.あとは当事者ではなく離れた場所から見てるというのも重要で,OVAの「みずいろ」では大きくなった健二と日和がお互いのことに気付かなかった一方,彼らのことを端から見た雪希はひと目で言い当てたことが思い出されます.

普段,姉のことを恐れている雄二が,姉にものを買ってもらって大喜びしている様も可笑しいです.深刻になり得ない.

全くいろいろあります.長幼の話が好きな僕にはたまらない三十分でした.

疏水太郎

(なんつか水姫んとこの三人っつーのもうらやましいと思ったのでした.このみ・貴明・環たちの性別をひっくり返すと水姫んとこの兄妹弟になります.水姫にはぜひともタマねぇのようになってもらいたい.)

恋すてふと忍ぶれど

出だしに恋とくるか忍とくるかの違い.

口ずさむときのその恥ずかしさによって,恋すてふのほうを採りたいと思います.恋すてふ,まで詠んだ時点で赤面して先を続けられない,みたいな.

昔は遠回しな後者が好きだったのだけど,歳をとったせいで前者の直截さにあこがれるようになったのかもしれません.

疏水太郎

(お返事 to 薫さんとこ
 語はいちいち遠回しだと思うのだけど,展開が直截っていう見方もできるのですね. 
 お話としては響きや耳慣れなさを採り上げた(追記)以前の内容のほうがよく判りました.今回,僕としては「こい」という音が口から出てくるまでにかかる時間に注目してみた次第です.)

本日のたいへんかわいい

あまのっち.

いや,あまのっちだけでなく全員かわいい.

ここぞとばかりにかわいいという言葉を使いまくりたいです.

ああかわいい.かわいいったら.

ためらいなくかわいいと言えるテレビまんがでした.

疏水太郎

青い山脈

変しい変しい新子さま,とは有名な誤字で(古いか),恋という字を間違うに際して変とはうってつけの字であります.恋って変だしね.

昔,奥浩哉の「変」という漫画がありましたが,あの題もまさに「恋」を連想させるものだったのだなあと今さらながらに発見です.

てけり・り.

疏水太郎

幻夢戦記レダ

それが恋物語ではないとき,恋してる,って気持ちを抱えてることはただ女の子らしいものとして取り沙汰されるのでして,それを僕らがかわいいと感じるにあたっては彼女が誰と恋愛してそれがどうなったかということは無しでも済まされるのでした.

恋してる女の子はかわいいってよく言われるよね.女の子にとってそんならしさは勘弁してほしいものかもだけど.

20年前の作品ですが,主題歌の作詞が岩里祐穂だったので腰を抜かしました.調べてみると今井美樹のPIECE OF MY WISHもそうだったりする.もっと若い人だと思っていたので,つまり,歳をとるほど少年少女の魂へ向ける眼差しが深入りしてゆく人だったのだなあ.

疏水太郎