大晦日

なにはともあれ彼ら彼女らと皆様に感謝しつつ.

良いお年を過ごされますように.

疏水太郎

年の瀬 2006

忘れてましたが去年も相当本を整理したようです.
http://d.hatena.ne.jp/sosuitarou/20041230

今年印象に残ったお話はまず,阿部俊子「伊勢物語(上)全訳注」.人と会うときはいつも何にも気の利いたこと言えなくて,「君や来し」の心境でね.もう一つは,鎌池和馬「とある魔術の禁書目録(1)」.男の子の矜持を最後まで.なにもそこまでしなくてもと思う分,記憶に残りました.骨にまで達するようなぱっくり開いた傷口とか,口腔の様子がつまびらかにされるあたりも併せて,顔が朱に染まりだす以前の,だけど身体に対して客観的な興味は持ち始めるというお年頃が感じられます.女の子の唇から口づけが連想されない,大事なことは口づけで解決しておけば可愛らしいものを,先方の喉の奥に手ぇ突っ込んで指で押すなんてことになってしまうあたりも,色惚けの僕には不意打ちの手触りでした.

手元にあるゲームより.
「少女魔法学リトルウィッチロマネスク」いつかおもちゃ箱と一緒に夢見たようなお話の日々.尽きることのないコンテンツやにぎやかなダイスロールは僕らを飽きさせないためというよりも彼ら彼女らの幸福な毎日に繋がっている気がします.魔法カードの絵も掛け声もいちいち可愛いよね.
「美少女花札紀行みちのく秘湯恋物語Special」僕はさほど旅が好きというわけではないと思うのですが,旅が好きだと考えざるを得ない程度にはいろんな場所へ行きました(経県値.宮崎県ごめん).一人で行った場所も少なくないけど,友達と行った方が現地では楽しいです.旅が好きであるとストレートに言えない理由は,旅に関して一番楽しいと思うのは旅の間よりも旅をした場所について語ることだからで,小説や新聞やドラマでふと触れられたことであるとか,もちろんみちのくに代表されるようなご当地ものゲームについて語るのが好きです.実際の写真が使われているのがやはり記憶をたぐり寄せるにはよくて,そこのところはセンチメンタルグラフティであるとかハプニング☆ロケでも同じ.あと僕も余人の例に漏れずクイズ好きですので,ゲームをプレイするにつけご当地知識が増えるのは嬉しいです.ハプロケ京都編では僕ですら知らないような疏水知識が披露されていてシャッポを脱ぎました.
「花咲くオトメのための嬉遊曲」ファミコンで“ベストプレープロ野球”が出たときには自由にチームを作れるのが面白くて,アニメや漫画のキャラクターを選手にしたチームを考えました.たとえば冴羽獠はやっぱ球が速いだろうとか,好き勝手の連想でお人形たちのチームは出来てゆきました.僕らがキャラクターをどこかに配置するときには彼ら彼女らの性質に沿った物語付けが行われるもので,もしかすると恋愛というのもそうなのかもしれないです.女子野球部のコーチであるところの男の子が理想のチーム像をもって女の子を配置してゆくとき,それに平行して男の子がたくさんの女の子の中からある女の子を選んでゆく.女の子を決めるのではなくて女の子を選んで配置してゆく,あるべき野球チーム像というのを元手にして,恋愛に対して俯瞰的な理路を見せるのが面白く思いました.あとキャラクターの名前がいいよね.佐保姫とか,佐保姫とか
「さくらむすび」トノイケダイスケ氏の生真面目さが光輝を放っていると思います.僕の心の汚れが照射されて,ちょっと落ち込む.そんなとき手を止めて穏やかなピアノ伴奏をじっと聴く.まだ話は序盤もいいところですが,そんな感じ.生まれながらにして姉弟である我が身としては語りたい,あるいは語れないことが多すぎて言葉に詰まります.

手元にあるアニメより.
「こみっくパーティー Revolution」DVD-BOXまでも買っているのでどうやら大好きらしいです.彼ら彼女らは大学生と高校生との混合チームであって,どちらかというと大学生が数で優勢ですので高校生が子供っぽかったり幼かったりという風に描かれます.こみパRを見た後には和樹たちの視線が僕に転移して,例えばToHeart2に出てくる子たちがタマ姉も含めてみな幼いような気がしてくるのが不思議でね,きわめて不公平な見方なのであの子たちには申し訳ないのだけど.それはそうと,こみパRでは野球,サバゲー,テニス大会といった感じで同人誌というよりもともかく全員で集まってわいわい出来るような遊びをやってるのが楽しげです.きっと大志君がこういうことが好きなのであって,そういう人が身近なところにいるのは有り難いことだと思います.
「ToHeart2」#9まで.他人のよく判らない行動が判らないままに受け止められてる感じが一緒に居やすくて良いです.小牧さんやこのみの目から見た由真の貴明に対する張り合いであるとか,るー子の“るー”が他の子になんか真似されてるだとか,不可解さがストーリー上の不明というよりはその人の不可解さになってるよね.あとは珊瑚がほんとこのへんに住んでるなかでも上品な子が喋るみたいな美しい関西弁なので和みました.瑠璃は別の訛りが交じってましたので,彼女は昔は別のところに住んでたのかもしれないです.
「はっぴぃセブン」#11まで.中学生の新入部員あまのっちに対して,高校生のお兄さんお姉さん方はやっぱり大人で優しくて毎日が楽しいというお話.うちは中高一貫だったので自分の中学時代の部活動を思い出します.部長とかはほんと大人に見えたし可愛がってくれたなー.あとは余談ですが,天動天破双天砲の技の出の遅さで思い出したことがあったのでちょっとコメント.大見得にせよプロレス技にせよ大したことであるのを示すために大したゼスチュアを伴わせるのはなかなか自然な工夫です.しかし,舞-HiMEではなつき&デュランの「ロード・シルバーカートリッジ,撃て!」が技の出の遅さの割に弱いのがずっと気になってたのですが,それは最後に解消されるべきずれだったのね.余談ついでに言うとはっぴぃセブンでは中原麻衣がめっぽう楽しそうであるのが良いです.
「舞-乙HiME」#1のみ.女の子の変な表情がたくさん見られる可愛らしいアニメ.アリカの飲料水へのこだわりが素敵ではないでしょうか? ただの水をさもおいしい飲み物であるかのようにニナ・ウォンに薦めるところとか,飲み水の好きっぷりは水淵季里以上でした.
「D.C.S.S.」#15まで.純一パパと音夢ママとアイシアちゃんのお話.さっきアズカバンの囚人を見ていたらルーピン先生がハリーにやたらお菓子をあげるのが目につきました.なんかあったらすっと自然にお菓子が出てくる.子供にお菓子をあげ慣れてますよね.純一にもさくらを相手にして学んだこの資質があって,お菓子って子供だけじゃなくて大人の女性だって好みますからね,なんかそういう風にさっと手を差し出すような人付き合いを上手くやっちゃう人です.純一のお菓子を出す魔法とアイシアのおもちゃ作りの魔法は相当に使われ方が違っていて,彼女の魔法は小さい子にとってやはり楽しいものであるだろうけど大人は直接には嬉しくなくて,たぶん,子供を喜ばせることを介してその周りの大人をも幸せにするような性質を持つものではないかしら.純一の周りの大人会話をする人たちの中に彼女が入ってくと彼女が子供みたいになってしまって大人と子供の間にある調子はずれが生まれてしまうのですが,純一と音夢との間にほんとうに子供でもいれば,アイシアはその子の世話を通じて純一たちと同じリズムで時を刻めるのではないかと思われます.ちなみに大人会話っていうのはサーカスの回(#12)のあれ.純一たちは座って話をしていて,入院患者の子の事情に興味を持っていかにも親身であるような声色で,つまりよくある井戸端会議のような振る舞いを見せるのですが,アイシアだけは関係ないという風で部屋をうろうろしてます.しかしどうやら彼らの話を聞いてない訳じゃない.単に,大人が使うような世話に満ちた声色を使うことが出来ないだけなのです.という意味において子供だというだけで,それがどうした!と思いたいところではあります.

絵に関しては,今年もいろんな種類の絵を描けたかな.先日somamiti君と会ったときに絵にどれだけ自分が出てしまってるかという話になって,もう一度そのことについて考えてみると,今の僕にだけ判ればいい情念と何も知らない人が見て可愛いと思える部分とかうまく交ざり合っているのが一番いいなと思います.僕にだけ判ればいいことだって,3,4年も経てば僕にだって判らなくなるものだから,それでもなおずっと可愛くあることのできるような絵がいいんじゃないかな.

疏水太郎

小さな本棚(2)

小説も200冊あったのを150冊としました.本棚に入りきらない分は図書館や古本屋やネットに預けておけばいいよね.好きな本が9割,読んでないから残した本が1割.まだはみ出てる感が強いのでもっと圧縮したいです.

それでもずいぶん風通しが良くなって,残された本たちの生気がすこし甦ったように思いました.

これくらいの数だったら一枚の写真に収まるので,定期的に記録を残してゆくと面白いんじゃないかなと思って,撮ってみました.

2005/12/25の本棚

部屋ではもっと存在感があるのに写真で見ると寂しい感じがしますね.どちらが本当なのだろう.

しかし,今どき携帯電話のカメラで撮っても背表紙くらいなんとなく判るのだなぁ.

疏水太郎

小さな本棚

部屋が荒れてきたので昨日は漫画本を紙袋2つ(100冊)ほど整理しに出かけました.あとゲームやDVDも紙袋1つほど.だいたい気が晴れないときにものは増えて部屋を散らかして気持ちをさらに乱してゆきますので,機嫌のいい日を待って整理するに限ります.本棚の容量からはみ出たものたちは僕が抱えきれる範囲を超えていると思うのです.漫画本は三段ボックス1つ分で今は残り100冊ばかり.え,100冊もあるの?と思う.理想では30冊くらいを大切に守って生きてゆきたいのだけど,まだ思い切れない.だけど抱えきれない.本棚をざっと眺めれば歴史があって,高河ゆんであるとか昔から好きな漫画家が目立ちます.そこへこうの史代など僕としてはニューフェースがちらほら.そんなふうに増えたり減ったり本棚の生態系で,真ん中はゆっくりと変わってゆきます.

今日は実家に帰っていて,ここにもまた僕の本棚があります.たいていは10年近く前,京都の別の部屋に住んでいた頃に買ったもので,京都で買ったものが今,奈良にあって,僕はそれらを置いてまた京都に住んでいるというのがなんだかおかしいです.さっき須藤真澄の「天国島より」を読み直して,また京都へ持ってゆこうと思いました.須藤真澄といえばかねてより美少女描きですが,あれからいろんな美少女メディアに熱中してきた僕が改めて見るとやっぱり須藤真澄は美少女漫画家でした.じっちゃんばぁちゃんおっちゃんおさかな描くほどに,関西風のきれいなおでん出汁となったのか,少女に味が出てくるのです.

須藤真澄がペンを入れるときの擬音は,その谷折り主線を見たまんまの「つーてん,つーてん」です(天国島より,p.129).僕が保健委員の時,文化祭の展示用パネルにつーてん文字を書いて怒られたという話をいつかしましたが,これは僕が須藤真澄と出会う2年も前の話なので運命だったか.なんて,ほんとは初めて見たときは変な絵だと思ってました.印象は時間をかけて変わってゆきます.

広くない部屋を何度も引っ越ししていると,実家に置いてきたり引っ越し前に整理したりで生き別れの本がたくさん出てきます.僕と本との間に距離をあけると本は動いて,僕についてくるか僕をおいてくか,もしかすると僕の行く手を先回りしてる,とかね.京都に住むのが二度目となった去年から本を部屋に溜め込まないようにしたのは,たぶん,本が自ずから動くと想像するようになったからじゃないかしら.

小説本のほうは漫画本よりもなお大胆にはなれなくて,まだ本棚にぐちゃぐちゃと詰まってます.文字の世界では僕の頭のなかもきっとぐちゃぐちゃ.年内にもう一度本棚の整理をチャレンジしようと思います.

疏水太郎

桜のきわは曖昧の

奈良県上北山村の桜は秋にも咲く,と先日地方版で読みました.前に紅葉,後ろには桜,あるいはその反対か,浦島伝説に謳われる四方四季の庭の,東は春,南は夏,西は秋,北は冬の景色に臨むのを,ひと眺めすればたちどころに一年が過ぎるというように,桜と紅葉を同時に置く様は季節が曖昧の妖しい気色です.

夏頃に両親が二人でドライブをしたという話をちょうど母から聞いていました.午前9時に村へ着いたら薬師湯と呼ばれる日帰り温泉がまだ開いてなかったので,近くにあったホテルのラウンジで休んでいたら,昼食と温泉がついていくらかの割安なお値段.結局,そこでご馳走もお風呂も頂いての浦島太郎も驚くような宴,と聞こえたのは,母の話しぶりが楽しかったからだろうと思われますが,それにしても前に伊勢旅行の話を聞いた折の,伊勢のくせに不味かったというペンション流・海老料理,そのプラス2000円か何某かで夕食につけてもらえるようなものと比べるにつけ,大台ヶ原を抱えた山奥のこの地の伊勢海老は大層美味しかったとか.

秋に桜が咲くならば,山と海さえもかくや.ホテルは元村営であった「かみきた」で,この魚料理の秘密は熊野灘まで山を越えて1時間という距離にあります.つまり,山が海まで迫った地勢の落差が背景で,そういう土地では季節の花の落差も一層に感じられます.

遠い昔話では,こちらもまた霊異のありそうな地に,秋の桜にまつわる地名が伝えられています.奈良県は山の辺の道に桜井という名の市があり,その由来として五世紀の履中天皇ゆかりである「桜の井」と呼ばれる井戸があるそうです.ここでこの桜の井との関連は定かでない同じ土地の伝説として,履中天皇がこの地で秋に咲いた桜に驚いたため,磐余稚桜宮という名の宮を営んだという話が日本書紀に見られるようです.一般に季節外れの開花は返り咲きとも狂い咲きとも言い,定めて秋にも咲く種は十月桜と呼ぶそうですが,いずれにしても奇瑞は春でない秋の開花にあって,その印象に深いのは当たり前と思っていた季節の巡りを改めて意識させるためではないでしょうか.十月桜と同じ種であるかどうかは知らないのですが,上北山村などでは春と秋とに咲く桜を四季桜と呼んでいます.十月桜という呼び名よりは,回転のあるこの呼び名のほうが僕には好ましく思われます.

疏水太郎

参考:
・小川和佑「桜の文学史」(朝日文庫)
上北山村公式ホームページ
桜井市観光情報サイト

福は外,

僕の部屋とリビングとの間には扉が二枚あって,たまの帰省,閉めきるのはつれないだろうと近ごろ開けたまま仕事をするのですが,母は何か用事があってやって来る毎にそれを閉じながらリビングへ帰ってしまうのでした.長年閉じられた扉が開いているのはまさにしまりがないと感じられるか,あるいは気遣い,敬しつつ遠ざけつつか,扉の開け閉めひとつでも家のなかの複雑な気配が見え隠れします.

さて,戸の立つところに内と外とは現れて,怖い者どもを外へやるため人は家を建て戸を立て背を守り温もりするわけですが,ときにある子供が夜眠る前,自室の扉をすこし開けておくのは,戸の内側にこそ闇にしじまに天井に怖い者ども生じ,部屋に溢れるからでありましょう.これは主に僕や sense off の珠季の話をしているわけですが,おそらく珍しい事情ではないもので.福は外,鬼は内,と子ども逆さまに囃したてるがごとく,気配の流れが戸の隙間を抜け,廊下を心細く進み,両親のくつろぐ明るいリビングまで届いていてようやく,自分も鬼も寝静まるのでした.

猫の住む家の玄関に想を得て,再び猫通信について考えました.家のなかの戸やふすまには全て猫用の小さな口が空いていて,人の扉が閉じていても猫だけは通り抜けることができるものとします.内と外とを現しつつもどちらが外か内か判らない扉という奴ばら,これによって一層わやくちゃにしてやろうではありませんか.喧嘩して閉じこもった部屋にも猫だけは入ってゆくことができるのです.例の意味ありげな顔でもって僕を見つめて,また猫扉から出てゆきます.大山鳴動して猫一匹,とかなんとか,猫がなんとなく繋いでくれるからほぐれてゆく怒りもあったり,なかったりします.意味や効果の気まぐれなところが猫通信の真髄です.

疏水太郎

Guide Star

Guide Star

このところ1pixelのラインに凝っています.こよりさんの描かれる絵がとても良くってね.ピコピコハンマーとか.

枝振りとかいつも適当だからちゃんとスケッチしなくちゃ,と思いつつも,描くたびに変化のある今はただ描いてるだけで面白いからいいよ.

髪型についていろいろ迷った末,エアインテイクをつけました.アニメ絵ならではの華やかなスタイルだと思います.

先日,デザインに一目惚れしてD902iを購入.壁紙も込みでLuster Whiteが美しい.負けじと描いた壁紙が今回の絵でした.240x400pixelのディスプレイはふつうよりも80pixel縦に長く,高さ感覚に対する思いのたけを存分に込めた絵を描けるのが幸せです.

疏水太郎

(Zaurus SL-C3000 + CloverPaint1.1, 10hours)

近況

来年からの職が決まって,いつもなら電話で済ますところをわざわざ実家に帰って報告せねばならない気持ちになったり,あるいはこのところやたら父や母の話を書いたりと,そうしたことをぜんぶ予兆としてか,先月14日に父危篤の電話を受けて帰りました.ご心配をお掛けしましたが,今はようやく低空飛行の父を見守りつつ,家族がそれぞれの生活をこなしています.

さっき母が話すのを聞いて,医師の言う父の病状を母があまり理解出来ていないことにようやく気づいて,女性たちの真似はどうしたって出来ない僕に,やるべきことがあると判りました.

深刻になったり逃避したり.平日は研究室の仕事とアニメと.週末は実家で過ごす毎日です.

疏水太郎