記憶

今年の6月でサイト開設10周年ですので,結果的に僕の10年分の文章がほぼ電子的に残っていることになります.だいたいがそのときの僕にしか判らないような情念とともに書かれているので,今の僕には判らないところが多いです.話の前後や背景にあるそのときの僕が抱え込んでいたものなど,言葉として残すことが難しかった事情は時とともに有耶無耶になったり分解したりで,ときにはそれを熟成と呼びますが,なんのことはない,ぐちゃぐちゃになっただけです.もしくは昔の文章が意味不明の酔っぱらった風に見えるとすれば,それは酵母菌の働きだそうで.

だけどまぁ僕らはアルコールをこそ喜ばしいと思うものでね.

辞書のような知識は残してゆけば良いけれど,記憶は残すものというよりは回転させるものだから,今年もぐるぐると同じことを何度でもしたいですね.たくさんこぼれてゆく営みの中に,目の前を巡るものが記憶であり,大切なものであるだろうから.

疏水太郎