語り手の事情

かれこれ六年前,とある生徒さんたちと話をしていたときに気付いたことが,今でも僕が小説やゲームの人たちと話をするときにもっとも注意すべきことになっている.生徒さんたちってのは(もちろん)sense off に出てくる皆さんのことで,彼ら彼女らと一緒にむちゃくちゃな体験をすることになった一年間のことは,このページにつらつら書き残した通りである.

特に透子という人の淡泊な語り口は,例えばベルトホルト編のドラマチックな語りと比べると明らかに聞き手が納得することを拒んでいるように思えたので,透子の言うことを信じないようにしてみることから僕と彼女との付き合いは始まった.そうして気付いたことは,キャラクターというのは僕ら人間と同じ語り手であるので,彼らの話す中に個人的なこだわりや妄想が含まれていると感じられるような時はそれを無理に信じなくても良くて,それでいてなお僕がキャラクターを好きになることは出来るということだった.僕らは普段からこだわりや妄想を伴って生きてるものだからね.

SOS団についてむかし書いたことは僕のそういう接し方がいちばん強く現れたものだと,今ふり返って見るとそう思います.塵に埋もれていた文章に光を当てて下さって有り難うございました.

疏水太郎