清水マリコ「侵略する少女と嘘の庭」

ずっとずっと遠いむかしにこの小説の感想を書いた記憶があるのですが,思い出せないのでたぶんもう一度書き直します.

まずは牧生くんと中山さんの紡ぎあげる素敵文・素敵会話に圧倒されますので,いまは言葉が出てこないわ.とはいえ黙っているのも胸が苦しいので一番簡単なところだけやっておくと,「キラー」と「悪魔」は「悪魔キラー」という組み合わせで用いられるのがおそらく順当で,男の子をそう呼ぶならば強そうであるし,女の子ならば悪くてもちょっと血の気の多い女の子という感じの呼び名です.「キラー悪魔」というのは前後をひっくり返しただけですが,悪魔をキルする人間が言葉の素朴な入れ変えによってキラーかつ悪魔になってしまう驚きがあってね.もちろん悪魔キラーもキラー悪魔も言葉は使いようで,「そんな馬鹿,今度いたら悪魔中山に言いつけてよ」とか「あいつは最強のキラー悪魔だ.そんな簡単にやられるはずない!」とか時に頼もしいニュアンスを帯びるのです.ただ,ここでもう一度文脈を剥がしていって表層的なところを見たいのですが,悪魔というのは「キラー衛星」の衛星とは違って悪魔自体が殺人や人食いを想像させるため,キラーと改めて形容されることは少なそうであるという選好,ぐらいまでは剥がした先にあってよいものとして,キラーとか悪魔とか言う辞書的にはそれぞれ悪い印象をもつ語は,もしも素朴に悪魔合体したなら「悪魔キラー」としてよりマシな存在になるだろうところを,キラー悪魔という言葉はキラーと悪魔を独立した語として印象づけます.キラー悪魔中山,と最後に駄目押しでもう一つ名詞が続けばなおさらで.文脈によって読み変えられることはあっても,文脈から一歩離れるとキラー悪魔はやはりキラーであり悪魔であるので,しれっとして悪い子です.全般に中山さんの行動は文脈によってごろんごろんと読み変えられてしまって,ときに感謝されたりもするのですが,口の悪いところはやはり口が悪いのだという点は,うまいことキラー悪魔中山という二つ名とその使われ方の中に織り込み済みなのであります.この一周して帰ってくる動きがいちいち可笑しくて好き.

というだけに留まらずともかく名文名言続出なので採り上げてゆきたいのですが,きりがないや.

庭の話はそれこそ何度もしてますが,今回言うべきことはまず,男の子にも自分のお庭があるんだ,っていう話は梨木香歩も涼元悠一(一ノ瀬ことみ)もやってくれなかったぞと.そして,中山さんが1/144スケールGAT-X105(ストライクガンダム)を「この人」と呼んでくれるところは一番好き.牧生くんは「これ」呼ばわりするのでそこは彼女の心性とは異なるわけですが,それでもプラモの部屋が男の子のお庭に見えるのは,そこからモビルスーツたちが中山さんのお庭へ移住する姿が一種の株分けのように思われるからでね.

これも何度も言うけど,幼いような感じのことをするときには意図せずして幼い容姿や服装が伴ってしまうもので,牧生くんがおもちゃの庭をつくる中山さんを見るときにはもちろん彼女は男の子みたいな短い髪,しかもお母さんが切ったような(ここでは彼女が自分で切ったのだけど)たぶんぼさぼさで,あとおさがりの古い服を着ているのです.別に彼女は自分を幼く見せようと意図したわけではなく,髪を切ったことには別の理由があって,おさがりの服を着ているのもいつものことなのですが,そういうことが何故だか牧生くんが中山さんの幼いところを発見するにあたっては絶妙の巡りあわせであってね.作中の言葉をおよそ借りるならば,不思議とか偶然とかいうやつはどういうわけかやってきてしまうのであります.

あと些細なお気に入りを言えば,中山「うるさい.もう死ぬ.」とか不意に乱暴になるところ.このリズムがね.牧生「で,もう早く終わって,プラモ作りてぇ.」同意.牧生「プラモ好きな中学生に無理言うなよ……」そういう理路を心底うんざりした気持ちで口にする彼の,なんですかこの可愛さは.

とか羅列が始まりましたのでこのへんでやめときますが,以上の文面とは裏腹に,胸のほうはずっと苦しいまんまです.

京都の片隅に素敵な呪い.内緒で戦士募集中.

疏水太郎