花咲くオトメのためのテレスコープ

どういうわけだか判らない人たちと旅をすることは割とあって,僕の修学旅行もそういうものでありました.数少ない仲良くしてる人たちはほとんど別のクラスなので班分けは心細いものだったけれど,誘ってくれた人がいて,そのクラスになってから傍にいることが少しあった人たちの輪のなかに僕も入っていったのでした.旅館でたわいもないものを貸し出せたことが嬉しくてね,カード型ラジオとかシェーバーとか,お役に立てまして,どうも.僕はぼーっとしてたのでそこから付き合いを広げるようなことはしなくて,彼らと一緒だったのは結局それっきりだったけど,ほとんど知らないような人たちが自分を友達みたいに受け入れてくれるようなことがあることに,幼いながらも心に感じるところがあった高校二年の初夏でした.

高校一年の夏には四国を縦断したけれどこれも謎めいていて,TRPGをやっていたグループは僕らの他にもう一つあって,一緒に遊んだことはなかったけれど同じクラスになったからか縁付いて,旅行することになったのだったと思います.一体どうしてそこで旅行するんだろう.背が高くてスポーツマンタイプの人がいて,僕とは一生縁がなさそうな人だったのですが,そういうわけで彼とも一緒に行くことになって,だけどだいたいそれっきりで,いつか大学のキャンパスで会って短い挨拶を交わしたことがあっただけでした.

旅先では皆が寝静まる頃に独りの時間があって,夜中眠れない性質であるので絵を描いたり星を見に行ったりします.学部生最後の夏に徳島県阿南へ行って,研究室旅行なんだけど例によってそんなに喋れる相手はいないわけです.僕は飲み会のさなかに宿を抜け出して,昼間海水浴をした浜辺であれば京都では見えない星がたくさん見えるだろうと,堤防を枕にビールを片手に飽きるまで空を眺めていました.この夜は大収穫で,僕は初めて蠍座と射手座を見ました.そんな風に独りでぼーっと過ごしていた時間のなかにも,優しくしてくださった人の顔がぽつりぽつりと浮かびあがります.

さてと,アストロ滑走団の話です.中山嵐によると「俺と,何人かの仲の良い同級生たちは,春スキーに来ていた.」ということで,それは仲の良いメンバーが集まった卒業旅行であるとしてひとまず置かれたものでした.仲が良いっていうのはどういう関係を指すのだろうかなんて考え始めると,自分が誰かと仲が良いと意識することは大変な重荷であると感じられます.嵐はスキーに同行している小松葵とはプライベートではほとんど話をしてこなかったので,仲が良いという判断を歴史に求めると,そりゃどうも二人は仲が良いとは言えない気がしてきます.そこのところ嵐は歴史(つまり意味)を素朴に保留することができて,自分が葵と友達であるのか改めて問う必要が生まれたとき初めて,そりゃあ仲が良いさっていうことを,だっていま一緒に旅行してるじゃない,っていう現在で支えてく.仲が良いっていうことを過去に求めちゃうと,どうして自分はこの人たちと一緒にいるのだろう,一緒にいられるのだろうなんて首をかしげてしまうのだけど,それは考えなくていいことなのだろう.

嵐も葵も気配りの人だから心地よい談話であるよね.あとロマンティック.望遠鏡は独りで覗くものなので嵐の来訪に対して葵はレンズから目を離します.二人で見るべきは星じゃなく星空でね,だから星座も星空も望遠鏡ではうまく見ることができないようになっているのです.

疏水太郎